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小言のこごと、その6

あなたが過去の自分を思い悩む時、実は私も私に頭を抱えていたりするのである。



GENERATIONS from EXILETRIBEの小森隼さんがTOKYOHEADLINEで連載中のコラム、「小森の小言」。

第58弾の小言は「トイレ」についてでした。


「どう書いていくとやろうか」



今回のテーマが発表された時から、気になってにわかにそわそわしていたのはきっと私だけじゃないのではないかと思う。どんな事描くんだろう、距離ってどことの合間を取るのかな。はてさて私はどうやって書こうかな。悩ましいばかりである。

そんなわくわくの最中で迎えた9月の第4木曜日、いつも小言を眺めるお決まりの場所こと職場の食堂で、思わずひとり和んで吹き出してしまった。

考えているのは僕のはずなのに
何故、過去の僕は未来の僕に優しくないのだろう?
この過去の僕に対する今の僕の感情は同一人物に向ける感情だとは考え辛い。
だって、この決断をしているのは
変わる事のない事実の中で、絶対的に過去の僕なのだから。


どうしてだろうか。

眉間に皺が寄った神妙な顔つきで、いつもの優しい口をぎゅうと結びながらぱちぱちとこの文章を打ち込む姿が、見た事も無いのに容易に想像出来る気がするのだ。

私達人間というものは明くる日も後悔ばかりだけれど、彼の後悔はなんというか、愛らしいなあとこちらの頬が緩んでしまうのである。(御本人からすれば非常に悩ましいばかりだろうけれど)
悩ましい姿がいとおしい、でも「まあいっか」に転がるもの凄く素敵で、好きだという事をどうか覚えて居て欲しいなあと切に願う。



それにしても、置物やら本、4つのカレンダーが並んだ彼のお家のトイレはなんて賑やかなんだろうか!
好きなものを好きなだけ、思いっきり。

彼曰くまだ「トイレの女神様」に会った事は無いらしいけれど(私もこの歌をトイレ掃除中によく口ずさみがちだからなんだかよく分かる)、実は彼のところの女神様は、彼が居ぬ内にあなたの好きなもの達を堪能してるんじゃなかろうか、と私はにわかに思う。優しい彼の下に、実は既に女神様は降り立っているのかも。


飾られた画集に本、ページがもし小さく折れていたり、並びが変わっている日があれば、きっとそれは居心地の良い彼の家の女神様の仕業なのかもしれない。いつか彼はばったりと会えるだろうか、そうだといいのにな。



2019年5月9日、時間は確か午前11時過ぎ。
みんながそろそろお昼休みを意識し始める頃、私は独りでトイレに居た。
といっても例えば前日に特に変な物を食べちゃったとか、はたまたお腹を摩るほど体調が悪い訳でもない。至って元気だからこそ、耳さえそば立て無ければ誰しもが不思議に思うだろう。


私はその日、泣いていたのだ。トイレの中で。


どうして明確に日付を覚えて居るかというと、何を隠そうその日は愛すべきコラムこと「小森の小言」の更新日だったのである。2時間後には嬉しくて泣いた事を隠す為にまたもやトイレに駆け込む事になる訳だが、それはまた別の話。


当時は社会人になって1ヶ月と9日、もっと言えば研修を終えて9日目。毎日何にも出来ない自分にほとほと呆れていた頃だった。

法制度が全く分からない。
患者さんとどう話すべきか分からない。
電話に出るのが怖い。
病棟に居ても緊張して何も出来ない。
書類のあり方も、正しい記載もさっぱり。
あのスタッフさんの名前を覚えてない。
私達の明確な仕事って何だろう、説明出来ない。



社会人になって1年半経った今思えば「焦りすぎじゃない、今だって大した仕事は出来ないよ」「分からなかったら聞けば良いのに!」なんて笑っちゃえるものだけれど、なにせ他職種の同期が他部署にたった1人だけしか居なかった私は、自分自身が今何が出来て、どのステップに居るのかが全く分からず毎日緊張しながら呆然としていた。

それは確か午前中、病棟で先輩に頼まれた書類をコピーしていた時だった。
たかが1枚の紙を印刷する事にすら緊張して、方法もこんがらがったままコピー機から真っ白な紙が出てきたり、はたまたどこから用紙を入れるのかも分からず四苦八苦しながら操作していた。ちいちゃなプリンターを兼ねたコピー機の使い方すら分から無かったのだ、ならば素直に「分かりません、教えて下さい」って尋ねれば良かったのにね。



それすら当時の私には出来なかった。


押し問答の末にコピー機からゆっくりと出て来た書類は、幾重の文字が重なって、それはもう目も当てられない様な姿になっていた。気が遠くなった事を今もよく覚えている。

本来新しいまっさらな紙を入れるところに原本を入れちゃったものだからその上に更に印刷される、なんて本当に馬鹿馬鹿しいミス。今同じ事をしても焦るだろうけれど、それとはまた気持ちが違うのである。


震えながら近くにいた先輩に報告した。先輩は「大丈夫、特別誰も見ないだろうし読める読める!」なんて笑ってフォローして下さったけれど、当の私はそれどころじゃない。大袈裟かもしらん、だけど本気で「終わった」と、そう思った。

部署に戻って独りで書類整理をしていても喉の奥に苦い何かがあるような感覚が残っていて、色々考えてる内にもう瞼が熱くなって、自分ではこみ上げてくるそれを止められなかった。
駄目だ、まずい、見られたくないと、そう思ってひっそり私が駆け込んだのはトイレだった。


なんで何も出来んとやろ、なんで聞けんとやろ。昔からどうして直ぐに泣くとやろう。みんなどうして器用に生きていけると。
淡いオレンジみがかかったつやつやのタイルの壁に、オレンジ色のライト。職場の中でも最もと言っても良いくらいちいちゃくて、狭くて、だけど決して暗くはない空間で私はひっそりと泣いた。


学校に仕事、日常のあらゆる全てで私達は決して本質的に独りにはなれない。誰かと関わるのが常だ。だけど、時には独りで誰にも見られず素直になる瞬間だって欲しくて、そんな時はこの場所は多分味方でいてくれるのだと、そう思った。本来の用途とは違えど、たった独りである事が許される、小さくて狭いこの空間に私達は案外守られているのかもしれない。


ドアを開けて部署に戻っても、私は私の事は嫌いなままだし、相変わらず何も出来ないままだった。だけど確かに涙は引いていたし、多分、もうそれだけでいいのだ。



あの日から1年半くらいが経っても変わらず私はへっぽこで、特別な事は出来やしない。ただ自分に出来る事をこなす最中で、もしかするとまたいつか泣いてしまうかもしれない。
その時はまたこのちいちゃな居場所に駆け込むだろうし、どうか私とおんなじ誰かが苦しい時はこの場所で流したいものをこんこんと流して、また帰っていければいいなと、そう思う。

大人だ、大人だけれど、守り守られる事はきっと罪じゃないもの。


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