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血も涙もない都民様?

※このエントリーには東京都民および首都圏在住者には当たり前すぎて超絶つまらない話が書いてあります。


地方在住者が必要以上に畏怖する存在、東京都民(≒首都圏在住者)。

理由は様々あるが、その中の一つに「鉄道の人身事故で人が亡くなっても悲しまない」が挙げられる。

尊い命が失われたのに、都民様は悼むことなくイライラ。行儀の悪い輩は「運行再開はいつになるんだ」と駅員に突っかかる始末だ。その姿は「都会に染まる恐ろしさ」を田舎者に見せつけ、「東京に行くとみんなああいう風に心が冷え、血も涙も無くなってしまうんだ」というイメージを植え付けた。


そのような民間信仰に30年浸った後に上京した私。今年で3年目になるが、そのようなトラブルで予定に遅れたり、帰宅が遅くなったりすること数知れず。「なんで今飛び込むんだよ……」と、イラついたこともあった。

だが、自分の心が冷たくなったとは思わない。人身事故程度で(と言うのが非情に聞こえるのかも知れないが)亡くなった人に心を割いていたら、自分の心がもたなくなるからだ。


初めて人身事故による運休を食らったのは、上京して2ヶ月くらい経った頃の帰宅時間だった。踏み切り事故で、現場は平時でもよく線路内立ち入りが起こる場所だ。

駅でそのことを知った時軽くショックだったが、その踏み切りを通る電車に乗らないと家に帰れない。路線を変えて迂回するという手もあるっちゃあるが、そんなことをする手間も費用も時間も無駄。いくら他路線で振り替え運行しているとはいえ、それが何だか馬鹿馬鹿しく思えた。


運転が再開し、電車に乗って事故があった踏み切りの前を通過した時、自分の何かが切れた。


私は、やりたいことがあって上京したんだ。上京してから、もっとやりたいことが見つかった。

他の人たちもやりたいこと、やらなければいけないことがある。

事故に遭った人は、死にたくなるほど辛かったのかも知れない。自身で善悪の判断もつけられないくらい追い詰められ、衝動的に電車に飛び込んだのかも知れない。

でも、それが赤の他人の人生の一部を侵害していい正当な理由になるのだろうか。

まぁ、そんなことを考えても本人に届くことはないだろうから、いいや。


地方で人身事故で電車が止まることは珍しい。

なぜなら人が少ないから(悲しいかな、路線によっては人間より動物衝突の方が多い場合がある)。だから他のニュースよりも目立ち、人々が反応してしまう。

一方、東京(首都圏)では、自分が使っている路線だけではなく、相互乗り入れで連携している他社路線のトラブルが利用路線に影響を及ぼすことがある。どの路線にも言えるだろうが、それにいちいち反応していたらキリがない。

かといって、毎度イライラするのも健康に悪そうだ。

なので、今は電車が止まったら、関係先に詫びの連絡を一本入れた後、迂回路線の乗り換えを楽しんだり、待ち時間に駅の売店を物色するようになった。

先日は緊急停車した駅の跨線橋から、自分が乗ってきた電車をじっくり見ることができた。「西武鉄道2000系は、上から見てもやはり丸っこいシルエットがかわいいな」と笑えるほどの余裕があった。


これで私も、血も涙もない都民様になれただろうか?

クリエイティブ不毛の地・仙台出身の平成元年生まれが、令和元年に上京して「平面系マルチクリエイター」を目指しております。皆さまから格別のお引き立てをいただけることが、何よりの励みになります。