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いちばん欲しいもの

ある田舎のまちで母の子宮から顔を出してから26年間
、ずっと住み続けてきた日本を出て、海外で生活をし始めたのが今年の1月。

引越しに伴って解約するガスや水道みたいに、大好きなものや習慣を止めた。止めざるを得なかった。大好きだった彼氏、毎日入っていた湯船、大好きなファッション、当たり前のように食べていた米、味噌汁、焼き魚。距離と時差を隔てると全部遠い存在になった。

それでも日本と変わらず続けていることもあった。それは自分分析。就職活動のサブタイトルと言っても過言ではない自己分析とは違うので、「分」という文字が二つ重なるのは不本意ではあるが、自分分析と呼んでみる。

どんなものかというと、ただ自分を知るということである。何かにつけて自分の気持ちと向き合うこと。

例えば私は今、韓国料理屋でカリフォルニアロールなどの日本ではあまり普及していない寿司を作っている。今まで寿司を巻いたことなど無かったので、完全に逆輸入である。もちろんそこには仕事仲間がいて、特に忙しい時などは仕事仲間に対して不満が溜まったりする。

そういう時、怒りとして自分の中に蓄積される不満と向き合ってみる。どうして私は彼女に対して不満を持っているのか。ここで大切なのは、原因を彼女の中ではなく自分の中に探すことである。彼女の中に原因を探しても、私には何の変化も進歩も起こらない。

こういう時の私の答えは大体、「仕事は効率よく、スピーディーにやるべきである」という私の思い込みやエゴから来ているものであって、そこには仕事仲間にもそうであって欲しいという期待もある。そういうことに気づくと不思議と仕事仲間に対して不満が募ることがなくなる。思い込みというのは恐ろしいものである。

自分分析は出国する前からずっと続けている習慣であり、自分を成長させるとても良い習慣だと信じている。海外生活を始めてから一度、大きな気づきがあった。

それまでは、もっと自分らしく、生き易い人生をつくるには自己肯定感を高めるのが大切だと信じてやまなかった。自己肯定感を高めるためにできることを数多くこなしてきたし、知識も沢山得た。

そんな中、コミックエッセイ等を日々発信していらっしゃる「あぴママ」の母熊のエピソードを読んだ。それは学校帰りのバスの中だった。

そのエピソードを読んだ瞬間、何故だか涙が止まらなくて、人目も憚らずとにかく泣いた。

そのエピソードは端的にまとめると、"どんなに子供が悪いことをして責められようと、母親くらいは外敵を前にして子熊の前に立ちはだかる母熊のように、いつでも子供の味方でいてあげましょうよ。それが本来の母親のあるべき姿なのではないでしょうか?"というメッセージが込められたものだった。

このエピソードを読んで思い浮かべたのは父のこと。小学生の頃、毎日担任の先生から課される宿題を丸々1週間ほど放棄したり、父の腕時計の設定をめちゃくちゃにしてしまったり──。私はそういう女の子だった。ただ当時は何も考えていなかった。やりたくないから宿題はやらなかったのだろうし、ボタンを触ってみたかったから、腕時計のボタンに触れただけ。しかしこれでもかというくらい、怒られた。雷が落ちると表現されるが、本当にその通りで、太く耳を塞ぎたくなるような大きな声で怒鳴られる。そんなことをされれば恐ろしくてもう父親に怒られたくないと思う。だから父親に怒られないように必死に勉強したし、怒られないように良い子になった。

26歳になるまで気付かなかったけど、私は父親に子供のままの私でいさせて欲しかった、とそのエピソードを読んで心で気づいたのだ。もちろんその時だって今だって父親は私のことを愛している。そんなことはわかっているけど、私は父親に怒られたことによって、大人にならざるを得なかった。

そしてそれが全ての根源だったようで、それに気づいた私は本当に変わった。

父親に怒られないように、先生に怒られないように、友達に嫌われないようにするのが、私の生き方だった。本来は私のやりたいことをやるだけ。そこでは自己肯定感とかそういうことは関係なく、やりたいかやりたくないか、それに従うだけ、まるで猫であるかのように。でもできなかった。それはこの根源に気づいていなかったから。

日本を出て、スーパー銭湯とか途中で止まっている漫画の単行本とかアニメとか、いろいろ恋しいものはあるけど、今1番欲しいもの、それは父からの抱擁である。

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