戦争

 主権の存否が関わる戦争と、そうでない戦争がある。前者は講和の無い状態における戦争終結を伴うものであり、後者はそうではない。前者は職として総力戦に連関する現象である。総力戦はある国家主権と別の国家主権のどちらかが崩壊すること前提にしており、勝敗の決定は一方国家主権の崩壊を意味する。すなわち、他国による完全支配というある国家の状態が発現することになる。これに対して、このような結果を招来しない戦争もまた存在する。この戦争は、戦闘の限定的な前提を置いている場合がしばしばである。そして、この限定性に基づいて講和が想定され、準備されている。この限定性は単に戦力の部分的使用に留まるわけではなく、戦争の地理的舞台、戦争に関わる国家の対立構造、戦争参加国の多少、等の条件を意味している。
 しかし、最も重要なのは、この戦争形態においては、総力戦のような戦争の際限なき継続という時間観念の破綻が、戦争を遂行する国家において生じていないということである。総力戦においては、戦争主体者たる国家が、戦争の勝敗を決するまで戦争を持続し続けるという志向を必然的に持っている。この志向の衝突が国家主権の死という状況へとつながっていく。逆を言えば、総力戦における国家は、敵対する国家を完全に破壊することを戦争目的に据えているということになるだろう。すなわち、戦争の終結に対する想像を持たずに戦争を遂行し続けるというのが、総力戦の本質のうちにある。
 このような無限の時間観念を持たない国家の戦争は、戦争の終結を戦略に組み込んでいる。別言すれば国家主権が崩壊しないという前提の上での戦争に参加していることになる。この戦争は、限定的な戦争(限定戦)という概念として総力戦に対置され得る。もちろん、この図式を現実の中で明確に規定することは出来ないかもしれない。というのも、現実における戦争は総力戦と限定戦の間を右往左往するからであり、つまるところ戦争の終結の形態の発言によって、その図式が確定することになるからである。

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