国家

 国家原理を規定する根本概念は、外国との相違性に還元される。国家それ自体で発出されるよう理念は実際は存在せず、そのような理念が現実において有効であるとしたら、それはただその理念が外国と自国の間に差別を齎すことができるからである。歴史的に国家それ自体で国家理念が発動されているような諸現象、例えばフランス革命やロシア革命は、理念を発動するどころか、その理念をつかさどる国家の運動態を破壊した現象にほかならず、すなわちそれらの現象が内包している理念は、国家的理念ではなく、非国家的理念ないし宗教にほかならないのである。国家理念は国家の歴史の嚆矢において現れるものであり、また国家が存続する限り、永続するものである。そして、この国家理念は、本質的にその価値や内実によって、理念としての資格が決定されるわけではなく、外国との主権的対峙関係によって定まるのである。全ての国家はそれが存在した黎明において、必ず他国とのこの関係を有する。一見、逆説のごとく思われるこの見地を否定する為の国家理念に対する精察を我々は現段階において保有しえていない。国家は、他国が存在するが故に、その国家理念を持つことができ、そしてその主権を持つことができる。
 我々が国家主権という概念を想像する時、それは、国家の主権者の概念と国家それ自体の主権者という概念を持つ。主権は国家の運動態自体であり、それが崩壊する時は、国家が亡滅する時である。ところで、国家理念は、一体どちらの主権者に原理的に保有されていることになるのか。すなわち、国家の主権者なのか、それとも国家という主権者なのか?この関係は極めて複雑であり、一概に断定を下すことは出来ない。なぜならば、国家理念は国家自体の理念であるときもあるし、また国家主権者の性質によって理念の形態が決まることもあるからであり、またそのどちらの形も併有されていることもあるからである。しかしながら、国家の主権者の理念の射程が、対国民、対外国という二つの方向性を持つものに対して、国家自体の理念はただ、外国に対して発動されるに過ぎないという相違を、考慮に入れることはできる。そして、国家という歴史的時間の連続性を体現する存在にとって、主権者の交代がその連続性に対して根本的な影響を与える可能性は少なく、しかし国家自体の交代という可能性があり得ないという事実において、我々は国家理念の真義とは、主権者の理念ではなく、国家自体の理念であるという裁定を下すための蓋然性を手に入れることができるだろう。もちろん、これに対する反論もあるだろう。例えば、主権者の交代が、国家そのものの崩壊を意味するというような言説である。たしかに、国家の主権者は、国家の全てをつかさどり、国家の実質を体現する存在である。彼は時に国家そのものとなることができる。彼の権力は国家のあらゆる外的・内的事象を設計し、創出する。自国の領域において、彼は全てを支配し、国家の歴史・文化・伝統の世界にまで、その権力は闖入することができる。だが、彼は国家のすべてを支配することは出来ない。彼の権力の射程は決して、その国家において無際限ではない。主権者と国家の存在が一致する瞬間は、歴史的時間においては実在しない。これは何も、フリードリヒ大王の金言のことを意味するのではない。あるいは、レーニンのでたらめな国家哲学を拝借しているわけでもない。国家の主権者の主権概念は抑々、国家の歴史的な時間の中における有効性を持っているわけではないのである。その主権概念は、国家の核である歴史的時間とは、別な時間の中で生きているものなのであり、両者はそもそも混在することはないのである。では、フランス革命は、ロシア革命は、国家の主権者を打倒することによって、国家の崩壊を招来したではないかという反駁が起こりそうである。しかしながら、これらの諸現象が、国家を打倒したのは、国家の主権者を抹殺したからではなく、国家という主権者を抹殺したからなのである。そして、それは国家が有する国家理念の停止を意味していたのである。
 国家主権の真義は、国家の主権者の主権ではなく、国家自体の主権であり、そしてそれは、国家が国家理念を継承することの権利なのである。国家理念は、外国との関係において、意義を有すると前掲した。では、抑々、そのような意義を持つ概念の内実や価値とは一体どういうものになるのであろうか?国家理念を打倒した革命について、国家の亡滅をもたらすものであると言うとき、少なくとも、外国世界はそうは考えないのではないだろうか?フランス革命によって、王政が廃止され、国家理念が終滅したからとって、それが海を挟んで対峙するイギリスにとって、抑々、王政と共和政の国家理念の相違について考えることに何の意味があるだろうか?あるいはロシア革命が発生したからとって、帝国主義と共産主義の理念的相違についての考察を、双方が共有するロシア的強権についての考察よりも、周辺諸国が優先するなどということがあり得るだろうか?このような疑心基づいて、国家主権と国家理念が持つ、外国との関係性について熟考しなければならないだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?