劇スの露崎まひるってさ、おかしくね?
【注意】
この記事は『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』のネタバレを含みます。
大学の夏休み長すぎるので、劇スでずっと考えてることを書き残します。
タイトルにもある通り、『露崎まひる』について。
劇スの露崎まひるってさ、おかしくね?
何がおかしいか?
それは「競演のレヴュー」における露崎まひる視点の存在意義です。
まず劇ス全体のテーマとして私は「みんなが一歩先へ進む物語」と解釈しています。
「怨みのレヴュー」で幼なじみに別れを告げ別々の道を進み始める双葉と香子、「魂のレヴュー」で永遠のライバルを再認識する真矢とクロディーヌ、「狩りのレヴュー」でけじめをつけようとしたら思ったより火がついた純那となな、「最後のセリフ」でこれからの道を見つけた華恋、そして「競演のレヴュー」で華恋と向き合うことを決めたひかり。
みんなそれぞれ、レヴューを介し進む道を見つけたり照らし出したりしています。
じゃあ、まひるは何が成長したんだ?
これが今の私の悩みです。もしかしたら私の目が節穴すぎて既に答えが明示されているかもしれません。そうだったら以降の文章は全部意味ないので教えて下さい。
ということで、「まひるが競演のレヴューを介して成長したこと」について考えていることを文章化してみました。私独自の解釈が多いので、間違っている部分が当然あると思います。そこは良い感じに補強して読んでください。
ワイルドスクリーンバロックにおける露崎まひるの目標課題
ワイルドスクリーンバロック開始前のまひるの課題は「新国立に自分が入団するという自覚が足りてない」ということが一番か?
・ランドリーのシーンでクロディーヌに「ただのファンみたい」と言われ露骨に気分が曇っている。新国立を憧れとしてしまっているのは自覚している。
・香子の「しょうもない」発言に「しょうもないって、新国立が?」と返答。新国立を高く見ているように取れる。ここで香子へ噛みつくところがファン仕草。真矢のように自信家、とまではいかないが、自分の判断に自信を持つべき?
以上より、まひるが成長するべき箇所は新国立に立つ自覚を持てという話だと思うし、実際ななもそこに気付けという意味で皆殺しのレヴューに招待したと思う。
目標へのプロセス
野菜キリンのシーン、ここでは皆殺しのレヴュー参加者がこれからやるべきことを示唆している(と、思う)。
クロディーヌ→シンプルに聖翔祭から進めていないので、進む。(聖翔祭でのスカウトが決まっていたから舞台への渇望が薄れていた?真矢と別々の場所に行くので、オーディションの時ほど渇望を得られていない。)
双葉→新国立に進むため、幼なじみと向き合う。
香子→今までなんやかんや自分のワガママが通っていたが、これからはそう上手くはいかない。双葉がいつも一緒にいるわけではない。
なな→過去の純那への執着をやめる。
純那→「自分星」をこじらせた結果、自分自身でも心の底では納得していない決断も「自分の判断だから」と納得してしまっている。そのために「ケリをつける」の理由が分かっていない。
真矢→皆殺しのレヴューは合格点だが、舞台へ積極的な参加。
まひる以外はこのようにある程度理由付けができているけど、まひるは?
クロディーヌと同じく、単純に進めというのが一番合ってそうだけど、他のメンバーの発言と比べてもレヴューとの関連性が薄い。
まひるにとって「競演のレヴュー」の意味
まひるは競演のレヴュー内で「ひかりちゃんと演じてみたかった」と発言している。ではこれがまひるの目的、新国立へすすむための未練?
そうじゃない気がする。もしそれがまひるの主目的ならば、「この舞台にいるのは、華恋ちゃんじゃなくてひかりちゃんだよ」という発言は出ないと思う。「私だよ」ではなく「ひかりちゃんだよ」というところが問題。この発言からは、まひるは「ひかりちゃんに私と向き合ってほしい」と考えているのでなく「ひかりちゃんがまず向き合うべきは華恋ちゃんじゃなくて自分自身だよ」と考えているのではないか。すなわちあくまでひかり優先。ひかりと演じるのはまひるのサブ目標。
じゃあ、主目的は?
「この舞台では、だれよりも朗らかに!」という発言、まひるは自分のあるべき姿がちゃんと見えているし、実際レヴュー内では(比較対象がひかりだからかもしれないけど)特段その理想に対し問題があるようには思えなかった。
「演じてた」と明かした後の発言を考えると、「私も怖かったから上手に演じられるか分からなかった」「今でも怖いよ」「舞台で生きていくって決めたから」華恋から独立したという話。うーーーーん。
やっぱりまひるは皆殺しのレヴューの時点で成長が完了していた?
「傷つく」「血を流す」の意味の通り、まひるはヒールを演じてみたかった?
だんだん分からなくなってきた。
記事執筆中に思ったこと
書いてる最中に「競演のレヴュー」の意味ってシンプルにひかりを拾い上げることかと思った。
それって結局神楽ひかりのためのレヴューになってるし、露崎まひるのことじゃなくない?
いや、露崎まひるにとって神楽ひかりが必要ということ。
まひる単体で考えてたけど、やっぱりここはセットで考えるべき。
アニメ本編で嫉妬のレヴューのあとかれひかまひは仲良い描写があったからそこの蟠りは無くなってたと思ってたけど、まひるが保護者になっただけだった。
実際レヴュー曲「MEDAL SUZDAL PANIC◎○●」では最後までライバルって言ってるし、これからもライバルという立ち位置になるんだろう。
トップスタァを目指すライバル同士、どちらも「愛城華恋」を乗り越えて戦っていかなければいけない。まひるはそれを越えて(越えようとして)頑張ってるけど、ひかりは乗り越えるどころか敵前逃亡。おいおい、ライバルとして切磋琢磨していこうとしてたのになんでライバル消えんねん。そんなの許しまへんえ。
という感じでまひるのトップスタァ街道に必要な神楽ひかりを失わないためのレヴュー、という解釈はどうでしょう。
ワイルドスクリーンバロックの招待理由とはあんまり関係ないけど、そもそもあそこは全体的にダラけてたという話なのでまひるの考察材料にしていただけです。実際他のメンバーもあまり関係ないことが多い。
「斬られて、傷つき、血を流しても。」の発言は、神楽ひかりのことを忘れてのこのこ進もうと思ってたけどやっぱりどんなことをしてもひかりを拾い上げるべきだと自分に言っている、と解釈することもできる?
やや押しつけがましいので違いそうだけど、これ以上考えると頭がパンクしそうなのでこれで結論とさせてください。
おわりに
なんか怪しいところもあるけど、深夜に書き上げている今の頭はこの結論で納得しているので一度これで提出します。正直考えるごとに結論が変わるのですぐ意見が変わりそうですが、思ったことはアイデアとして残したほうがいいので残します。
殴り書きみたいになりましたがここまで読んでくださりありがとうございました。
また考えがまとまったらnote書こうと思います。
競演のレヴュー、ムズすぎ!!!