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野草デビュー 81 カラムシ(No.100)北鎌倉野草観察会編19


虫食い葉っぱがカラムシの特徴っぽい

カラムシは中村臣市郎先生の記事に
「どんな天ぷらよりもうまい!カラムシはイチオシ野草」とありました。
出会いたかった野草です。
6月頃これがそうかな?あれがそうかな?と
探しつつ、ありそうでなさそう。
見付けられません。
9月に北鎌倉で出会いました。
うん?カラムシ?
どこかで聞いたことあるような。
食べたかったカラムシなのに
すっかり忘れてて
普通の葉っぱ!
パス!
次!
次の野草!

カラムシの写真は1つだけ。
1人北鎌倉反省会をしつつ、カラムシも摘んでくればよかった~☺️💦

25種類くらいですが、北鎌倉で学んだ野草たちはとっても大きなインパクトを与えてくれました。
台峰緑地よ、ありがとう。
なな艸野草観察会さん、ありがとう。
まだまだアップしてない野草たちは写真と名前が一致せずです。
エビヅル、イヌビエ、ヒヨドリ、山ウド、ヤブミョウガ、タラの芽
他に、身近にはないだろう的なノブドウとヤブツルアズキは写真と名前は一致。
はっきりしないから途中で頓挫するのはもったいないので、
追々調べて野草デビュー北鎌倉野草観察会編を続けていきます。

😌🌸💓😆🍀

カラムシをウイキで調べると😍⤴️⤴️
カラムシから繊維が採れる。
6000年前から栽培されていたのだそう‼️
カラムシの歴史が面白い。
宮古上布がカラムシからできていたとは。
沖縄県人なのにまったく知らなかった!
虫さんたちはカラムシが大好き。
だから虫食い葉っぱなのか!

カラムシの説明

ウイキより

カラムシ(苧、枲、苎)は、イラクサ目イラクサ科の多年生植物。
南アジアから日本を含む東アジア地域まで広く分布し、古くから植物繊維をとるために栽培されたため、文献上の別名が多く、紵(お)、苧麻(ちょま)、青苧(あおそ)、山紵(やまお)、真麻(まお)、苧麻(まお)などがある。
また、カツホウ、シラノ、シロソ、ソロハ、シロホ、ヒウジ、コロモグサ、カラソともいう。
古代日本においては「ヲ」という表記もある。 

今でこそしつこい雑草として嫌われる場合もあるが、茎の皮から採れる靭皮繊維は麻などと同じく非常に丈夫である。
績(う)んで取り出した繊維を、紡いで糸とするほかに、糾綯(あざな)って紐や縄にし、また荒く組んで網や漁網に用い、経(たていと)と緯(よこいと)を機(お)って布にすれば衣類や紙としても幅広く利用できる。

分布域では自生種のほかに、6000年前からヒトの手により栽培されてきた。⤴️⤴️😮

栽培種のラミーは、中国をはじめ、ブラジル、フィリピン、インドネシア等で栽培されている。中国では年3-4回、フィリピンでは5-6回の収穫が可能である。

歴史 
日本において現在自生しているカラムシは、有史以前から繊維用に栽培されてきたものが野生化した史前帰化植物であった可能性が指摘されている。😮⤴️⤴️

古代日本では朝廷や豪族が部民(専門の職業集団)として糸を作るための麻績部(おみべ)、布を織るための機織部(はとりべ、はとり、服部)を置いていたことが見え、『日本書紀』持統天皇7年(693年)条によれば、天皇が詔を発して役人が民に栽培を奨励すべき草木の一つとして「紵(カラムシ)」が挙げられている。😮⤴️⤴️

中世の越後国は日本一のカラムシの産地だったため、越後上杉氏は衣類の原料として青苧座を通じて京都などに積極的に売り出し、莫大な利益を上げた。
新潟県の魚沼地方で江戸時代から織られていた伝統的な織物、越後縮はこれで織られていた。😮⤴️⤴️
また上杉氏の転封先であった出羽国米沢藩では藩の収入源のひとつであった。
このため、カラムシの専売化をめぐり、宝暦10年(1760年)の『青苧騒動』や文化4年(1807年)の『青苧一件』が起こる。
なお、置賜地方産のカラムシを「米沢苧」という。
この他、江戸時代の北日本での有名な産地に陸奥国会津や出羽国最上地方があった。
一方、南方では薩摩藩がカラムシの生産や上布の製織を奨励したため、薩摩藩(鹿児島県)や琉球王国(沖縄県)では古くから栽培や加工が発達した。

 本州では、福島県会津地方の昭和村が唯一の産地であり、国の重要無形文化財に指定されている「小千谷縮・越後上布」の原料とされている。😮⤴️⤴️

沖縄県宮古島市の宮古島では、苧麻の栽培から、手績み等を経て、宮古上布の織布までの行程が一貫して行われている。😍⤴️⤴️

☘️🌱☘️カラムシ💚勉強になりました🌿


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