かみさまの霍乱

ちょっと思いついた短編小説
以下本文
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 おじいさんは世界に一人。

 だから彼はかみさまだ。

 山奥に暮らすおじいさんは一人では管理しきれない畑を使って米と野菜を自給して、タンパク質は水路に住み着いているドジョウを少しずつ食べて補っている。

 そんなおじいさんにもかつては家族がいた。

 集落の付き合いで見合いをした3歳離れた妻と、彼女との間に産まれた一人息子。

 おじいさんの家にも当時は電気や水道が通っており、この頃の彼はまだ一人ではなかった。

 だが今は違う。

 電柱の倒壊事故をきっかけに集落に住んでいた人々は他所の土地に移住してこのあたりに他の家はない。

 おじいさんの家では火元は全て薪木と火打ち石で賄い、水は庭先にある井戸水で賄い、電気は使わないので日が沈むと早く寝てしまう。

 冬場など寝ている時間のほうが起きている時間よりも長いくらいだが、おじいさんは気にもとめていなかった。

 強いて言うならば本が読めないのがつまらないが、どうせ頭に焼き付くほどに読んだ本なので最悪思い返せばいい。

 そんなおじいさんは家族がいた頃から暴君で、妻が先立つと息子は彼と縁を切る。

 故におじいさんは世界に一人。

 両親が旅立ち農地を引き継いでから神様気取りだった彼は、こうして彼の世界で唯一の「かみさま」になった。


「すまねえ」


 そんなかみさまも霍乱したのかもしれない。

 ある寒い冬の日の朝。

 しんしんと初雪が降る中で彼は夢を見た。

 眼の前に広がる光景は若き日の彼の妻が誰かに虐げられる日々。

 意見も聞いてもらえず、それでも息子にためにと自我を殺す可哀想な女性の姿。

 今までのおじいさんにとってそれは妻として当然の行動であり、同情することなどない。

 だがこれはかみさまの霍乱である。

 外に出たいという息子を庇う彼女を誰かが叩く姿を見て、彼は自分の行いに罪の意識を持ってしまった。

 あの日彼女を叩いたことが彼女の命を縮めたのではないか。

 そう思うと思い当たる節が山ほど出てくる。

 あの日、息子が家を飛び出してから彼女は急速に弱っていった。

 次第におじいさんの命令に対しての返事が遅くなっていった彼女だが、その緩やかな変化に対して彼は無頓着。

 そして息子が家を出てちょうど1年となるあの日、彼女は目覚めることはなく眠ったまま息を息を引き取った。

 当時のおじいさんはぽっくりと死んだ妻をねぎらうこともない。

 母の死ということで駆けつけた息子とも彼女に対しての態度で口論となりそれっきり。

 息子と縁を切ったおじいさんはそのまま他人を拒絶して、いつしかかみさまになっていた。

 あれから30年。

 もう息子だって子供がいてもいい頃合いである。

 もし自分に孫というものがいるのならば会ってみたいが、この日のかみさまは霍乱を起こしてセンチメンタルである。

 今までならば言わないようなことを呟いた。


「まあ、今更オレがじいじだなんて言えた義理はねえな」


 おじいさんは煙草をキセルに詰め煙を燻らせながら外に出る。

 久しく吸うのでカビ臭いのは体に毒だろうが、新婚時代の妻がこの煙管を褒めていたなと思い出しつつ。


 一週間後、テレビではあの日の雪は記録的な豪雪だったと報じていた。

 山奥だけでなくおじいさんの息子が住む街でも被害が出るほどの豪雪に、彼は不意に父を気にかけた。

 縁を切ったとはいえ一応は親。

 しかも人里ではないため気にする人はいないが、天気図をみれば近隣での豪雪はちょうどあの家がある元集落が一番ひどい。

 思い出したかのように生家を目指した息子を待っていたのは朽ちた家が雪で潰れた姿。

 息子が声をかけても返事はなく、残っていたのは雪に埋もれていたおじいさんの煙管だけ。

 雪解けを待って息子は潰れた家を撤去したのだがおじいさんは見つからなかった。

 おじいさんは世界に一人。

 だから彼はかみさまだった。

 かみさまは世界一人だからこそかみさま。

 だから息子が来るのを予感したかみさまは、かみさまであるために姿を消したのかもしれない。

 霍乱したかみさまにはかみさまになる前に背負った罪は重すぎた。

 真野正義享年72歳。

 戸籍の上では息子が30年越しに訪ねたあの日が彼の死亡日とされた。

 少なくともここ1年以内に生きていたことは役場の人間が遠巻きに安否を確認しているので、あの雪の日に亡くなったと見るのが妥当な判断。

 しかし遺体が見つからない以上、本当はまだ生きているのかもしれない。

 だっておじいさんはかみさまなのだから。

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