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不穏な足音

父の感染が発覚して以来、私もずっと不安で眠れなくなっていた。体調を崩すことは無いが、気にしない…ことは難しかった。

私が今もメンタルを保てているのは、一途に夫と猫の存在のおかげである。本当に感謝しかない。

12日は、母の検査の日だった。結果は13日になると伝えられていたのでこの日は特に連絡をしなかった。

こちらの心配を他所に父の経過は良好…に見えていた。咳と微熱はあるようだが、身体の怠さも強くなく、このまま最後までちょっと長い風邪程度で…という期待にすがりすぎていたかもしれない。

母が感染者になった場合、2人ともそれぞれ別な病院に入院になる可能性が高い。(居住する地域に寄ります)

それぞれが治療になると現状の把握は益々難しくなる上、父の自責の念はかなり強まることになるだろう。

余談になるが、田舎のご近所付き合いの関係もより難しくなっていく。

万が一2人とも感染していれば留守にしていることを察した近隣住民から酷い陰口を叩かれるのは火を見るよりも明らかだ。治療をして帰って来てもまた社会的に辛い状況を味わうことになる。

私はそんな田舎の環境が嫌で嫌で…大学も近郊ではあったが一人暮らしを始め、卒業後そのまま上京した。大事な故郷ではあるが馴染めなかった。

そんな、後々のことも不安に思いつつ、12日は家を購入する関係で夫が自分の実家(関東圏)へ行かねばならず、慌ただしかった。私は不安から夫へかなり八つ当たりしていたと思う。。

13日になり明るいニュースが飛び込んできた。母の結果が陰性だったのだ。母は泣いて喜んでいた。

自分が助かったからもあるが本質はそこではない。父に自責の念を負わせなくて本当によかったと思ったのだ。私もとても嬉しかった。

そして、改めて父の存在の大きさを感じていると言っていた。治療とはいえ2週間以上も一人で家にいないといけないというのは、とても辛いと思う。。

しかし、喜びも束の間に母から父の動脈酸素飽和度(95%以下は呼吸不全の疑い)が低くなっている(98%から96%に落ちた)ことを伝えられた。

数字だけで見るとそこまで大変そうに感じないが、普通に生活をしていて息苦しくなることはまずない。それが横になって休んでいるのにどんどん酸素が薄く感じるのだ。酸欠になると意識が朦朧としてしまう。一回の呼吸での酸素供給が足りなくなるから息も上がる。呼吸数が上がるとそちらに体力を使うため疲れやすくなる。思考も容易ではなくなる…。食事も億劫になってくる。父も少なからずそのような感覚を覚えているだろう。

当然ながら肺の影も増えているようだった。まだ熱も下がらない状況だったので、不安は募る一方だった。

このまま悪化が治らなければ…最悪な事態ばかりが頭をよぎる。。

今が深刻ではないにせよ悪化が始まってしまったのだ。肺炎は悪化し始めたら早い。とにかく進行を止めないと…。少しずつ何かが忍び寄る音がする。

この日からさらに眠れない日が続くこととなった。

これが12日、13日、14日の出来事。。。

最後に、コロナによりお亡くなりになられた全ての方々へお悔やみ申し上げるとともに、今も現場で必死に治療にあたられている医療従事者の方々へ深く深く感謝申し上げます。


トネコ

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