2020.07.31、宵山デートの小説を書いてアップした

 宵山の話が何とか書けたのでアップした。

宵山好きさ

 祇園祭の宵山でデートする、普通の大学生カップルの小説だ。ささやかで満ち足りた幸せ、こういう時間こそ大切だと後から気づくような京都のお話である。今年は祇園祭の行事のほとんどが中止されてしまった。夏の京都の恋人たちは、どこでどんな思い出を作っているのだろう。

 図書館裏の喫煙所は舞台になっている某大学に本当に存在していたが、今年の初めに撤去されてしまったと風の噂で聞いた。あそこでガラムを吸っていた文学部の教授は、今はどこで甘ったるい匂いを放っているのだろうか。それとも、他の喫煙所に融け込むためにもっと主張の穏やかな銘柄に変えたのだろうか。

 京都のことを考えると、郷愁と疑問ばかり湧いてくる。郷愁は風に吹かれて飛んでいく落ち葉に似ている。僕という樹にかつてはしっかり接続されていたのに、今は遠くへ行ってしまった欠片。赤や黄にくすんで焼けて、もはや記憶の中にしか存在しない。一方、疑問は伸ばした枝の先にある空白への問いかけだ。僕と接続するかは分からないし、存在するかも確かではない。それでも可能性はあって、もしかしたら枝がその通りに成長しているかもしれない。

 7月ももう終わる。8月の京都は地獄の釜だ。今年はコミケもないし、帰省も難しい。僕が学生だったなら、耐えられなくて毎日鴨川で泳いでいたに違いない。もちろん、嘘である。

 ちなみに『宵山好きさ』というタイトルはindigo la Endの「藍色好きさ」から取った。別にこの曲を念頭に書いたわけではないけれど、重なるところがないわけではない。indigo la Endの楽曲、特に「藍色好きさ」が収録された「藍色ミュージック」というアルバムの雰囲気は、夏の夜に鴨川沿いを少人数で歩いていると聴こえてくる、あの優しくも切なげな風の音に似ていると思う。

 本日更新分の「なっちゃんの不思議な夏休み」はけっこうボリュームのあるホラー展開になった。所謂八幡の藪しらず的な「入らずの森」に関する話だった。毎日即興で展開を考えているので、自分でもどんな一日になるのだろうかと楽しみながら書けている。なっちゃんと一緒に夏休みを過ごしている感覚が確かにある。

 それにしてもかわずちゃんの正体は何なのか、先生方の関係はどうなのか、お姉ちゃんの人間関係は、なっちゃんとクラスメイトたちは……今後もホラーテイストを盛り込みつつ、小学6年生のなっちゃんとその周辺のジュブナイルな百合を書いていきたい。なっちゃんの夏休みにはまだまだ不思議が満ちているはずだ。

 ジュブナイルという呼称が合っているかは疑問だけれど、それしか用語がないから使っていることを一応補足しておく。

 今日は筋トレでバキバキになったし、早く寝てしまおうと思う。

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