2020.08.19、公募することの意味

 というわけで、YOASOBIの原作小説コンテストに小説を2作品応募した。『さゆり』という作品と、『山手線エンドレスループ』という作品だ。お題は「東京、二人の波形」だったので、それを踏まえて書いた。

 中身や執筆についてはFANBOXで解説するとして、とにかく言えるのは読んでほしいってことだ。

 なぜならYOASOBIコンは応募要項に「・審査はmonogatary.com内でのランキング及び作品の内容を踏まえ、monogatary.com運営スタッフ、YOASOBIスタッフ、YOASOBIメンバー、双葉社スタッフにより総合的におこないます」とある通り、ランキングに上がっていないと読んで審査すらしてもらえない可能性があるからだ。ここにかんしてはブラックボックスだから断言はできないが。正直、もしも運営が全作品に目を通しているなら、それはそれですごいが、3000作品も応募されているので無理だろって気がする。知らんけど。

 ちなみにこの手のサイトでランキングに上がるには、日ごろからサイト内で交流して住人になっておく必要がある。そういう中から受賞作が多分出る。あるいは読みやすい3000字くらいの作品が受賞するのではないだろうか。評価3とかの作品が受賞したなら、そしてそれが名作だったなら、運営に拍手を送ろう。もちろん、ランキング上位=上手い、という図式は成り立つので、そこが受賞するのはある意味当然ではある。別にランキングの存在を否定する意図はない。言いたいのは「web公募で審査側が全部の作品を読んでいるかは明言がなくちゃブラックボックス」ということなので、お間違いなく。

 さて、10000字という制限はあくまで上限である。SNS時代、サブスク時代、youtube時代と言われる現在、短い間隔で快楽を得させるのが重要だ。「夜に駆ける」がサビから始まるのもそういうことである。だから、短い作品が受賞すると思うのだ。それと主催の双葉社っぽい雰囲気の作品=エモいヒューマンドラマが受賞するはずだ。

 とはいえ、それを書籍化するにあたっては100,000字程度に膨らませなければならないので、受賞者は大変だと思う。ちなみに10,000字に近い文字数なら、意外と100,000字に膨らませるのは可能だ。これは僕の感覚だけど、10,000字はかなり要素をそぎ落としてワンシーンをさらに圧縮したものだ。故に、周辺を増やして感情に厚みを持たせればかなり広がる。これが3000字や2000字だと100,000字まで膨らまない可能性が高い。むしろそのワンシーンの美しさに100,000字では勝てなくなる。短いが故に良かったものを消してしまうことが多いのだ。短編小説は精巧なパズルに似ている。多くもなく、少なくもない、過不足なさが求められる。やはり、多くの先生方が言うように短編小説は難しい。

 まあ色々言ってきたが、今の段階でYOASOBIがコンテストをすることにはそれだけで意味があると思う。なぜなら、住野よる先生とTHE BACK HORNがやっているように、音楽と小説のコンビの波が来ているためだ。このまま盛り上がっていってほしいし、僕にもそういうお仕事ください!

 考えれば、受賞するか否かは応募したらあとは運なので、応募できる作品を書いて応募という勇気を出した時点でみんな偉い。公募なんて、送ろうと思った100人のうち10人が書き始められて、10人のうち1人2人しか完成させて送れないものだ。また、送っても落ちるのが恥ずかしいから送ったと言えない、みたいな心があり人間とは難しい。でも、恥ずかしくなんてないのだ。送った時点で誇っていいし、選評をもらえる公募ならなおさら次に生かせる。多くの出版社は一時を突破すれば選評がもらえることを売りにしているくらいだ。つまり、今の時代は作品が多すぎてそもそも読んでもらえる機会自体が少ない。「小説家になろう」も昔は読んでもらえるサイトだったが、今は飽和気味な部分がある。それほど、読者を見つけるのは難しい。

 だから、1000を超える多作なのに、本当に全部読んで、しかもpixivというサイト内の評価の少ない多い関係なしで受賞作を選ぶ「百合文芸」という公募はメチャクチャ尖っていてすごい。今さらながらそう思う。僕も、第二回の方も、評価ポイントはそれほど高くなかった。第3回もあるらしいので、我こそはと思う方、読者を求めて応募してみるといいのではないだろうか。

 僕も今後、公募に応募し続ける。八月と九月には以前送ったものの発表も控えている。落ちたら悲しいので何も言わない。それでも、送ったことを誇ろうと思う。

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