2020.06.07、鉄道旅行の歴史について

 日曜日らしく好きに手を動かし、勉強をし、ゲームをしていた。明日からまた頑張ろうと思う。何気に締切まで3日くらいしかない。何とかしないといけない。

 昔買った本を引っ張り出して鉄道と駅舎の発展を学んだ。駅舎についてを主眼にしていたが、鉄道と旅行の関係性も思い出すと面白いことばかりだった。詳細は呟いたけれど、とにかく興味深かった。

 基本的に鉄道は人間を流通させるわけだが、そこには速度が伴う。かつての徒歩の旅はその地域と密接に結びついたものだった。旅行とは人間個人が所属する地域を変化させていく有機的なものだったのである(ちなみに、治安がアホほど悪い中世においては旅行=聖地への巡礼であり、それは死を覚悟した壮大なものだったことは阿部謹也『中世の星の下に』に書かれている。日本でも江戸時代前期まで旅行と言えばお伊勢参りなどの巡礼を指していた。その後名所絵の流行と『東海道中膝栗毛』などのヒットで事情は変わるが基本的に庶民に旅行は難しく、絵などで行った気分になっていたようだ)。

 馬車の旅においても速度は多少向上するものの、基本的に土地と繋がった旅だった。景色がいきなりすっ飛ぶことはなく、自分は景色の一部というわけである。また、乗り合いの人々との会話も旅の醍醐味となった。

 しかし、鉄道の登場で旅は変わった。鉄道は早すぎて前景が次々と消え去って十分に知覚されない。見ている風景から旅行者は切り離され、もはや風景とは車窓から眺めるだけの映像になる。そこには予想外の出会いもなければ会話もない。その代わり、文庫本が登場して読書の習慣ができた(もちろん、初期の三等車などは異なる)。こういう窓から見える景色を「パノラマ」と言い、その知覚を「パノラマ的知覚」という。速度に慣れた現代人に分かりやすく言えば新幹線であろう。東京大阪間、あなたは窓の外を眺めるにしても、その景色は一瞬で過ぎ去りあなたとは決して交わらない。だからあなたは本を読んだりツイッターを眺める。これがパノラマ的知覚の先の「移動時間」である。

 この「移動時間」を含んだ旅行計画の延長線上に「名所観光」があると僕は考える。日本でいえば東海道五十三次などの「名所絵」によって、旅行とは「見るべき景色」を見に行くものとなった。「見るべき景色」とは理想化された固まった景色であり、スタンプラリーのようにそれを回収していくことこそが旅行となってしまった(中学生が修学旅行で京都の名所ばかりを回るあれである)。そのような旅行の第一目的は「画像と同じ景色だった」であり、そこには安心感や納得感はあれど、わくわく感や満足感はないと僕は考える(よっぽど見たい景色なら例外もあろうが、多くはそうではないだろう)。

 パノラマについてはこのサイトに詳しい。慶応大学の教授が「窓」について色々書いてくれてる。シヴェルブシュの話もメインで登場する。興味がある人は読んでみてほしい。

 話は戻るが、このような「パノラマ的な知覚」は19世紀から20世紀のガラスと鉄道の普及によって生まれた。1851年の第一回万国博覧会で水晶宮がもたらした2つの革新は、「ガラス」と「鉄筋」だった。ヴォルフガング・シヴェルブシュは『鉄道旅行の歴史 19世紀における空間と時間の工業化』でその辺りもまとめている。僕はこの本を大学3回生の時に買い、とても楽しく読んで論文にした。それを久しぶりに引っ張り出して読んだ。他にもP・D・スミス『都市の誕生: 古代から現代までの世界の都市文化を読む』も久しぶりに読み参考になった。

 鉄筋についてはその後の駅舎の発展や都市の発展にも大いに貢献している。例えばシカゴの16階建ての当時最高峰の石材ビルは重すぎて地面に沈んでしまったが、鉄筋はその問題を解決しつつさらに高さを重ねることができた話などが載っていた(ややうろ覚え)。ニューヨークに摩天楼が築かれたとき、人類は教会の尖塔ではなくビルの尖端を進歩の象徴とした。それは石造りの宗教的な近世から、鉄筋のプラグマティックな近代への移り変わりと言えるのである。

 さて、話はパノラマ的知覚の旅行に戻るが、このような鉄道旅行に関する言説はジョン・ラスキンからベンヤミンまで当時盛んになされた。ラスキンは湖水地方の景観保護の観点から語った(ナショナルトラストに賛成した立場であり、自然をありのままに再現することを推していたラスキン的には鉄道の侵略は許せなかったに違いない)。その辺りについては中村良夫『風景学入門』(中公新書)の記述も参照した。ベンヤミンはアウラの消失という彼のテーマとの関連性でパノラマ的知覚を語った。僕は映画史を専門としているのでベンヤミンのアウラ論はそれなりに学んだが、鉄道についても言及があることは学生時代ずいぶん驚いた。しかし、今読むととても的を得ているし、写真論と並んで賛同できる部分が多い。いずれにせよ、鉄道の登場は知識人たちに衝撃を与えたのである。

 現代を生きる我々は鉄道(電車)の速度を自明のものとしている。しかし、一度過去に立ち返り旅行や移動の本質を思い出してみるのは有意義だと僕は思う。家の周りを意識的に散歩するようになったのは21歳になってからだった。そこには思いがけない出会いがあった。その街に自分が生きている感覚が、景色と地続きで形成されていった。旅行先でも、僕はモニュメントを回収するよりも周辺をぶらつくことを重視している。結果的に、その方が後に思い出に残りやすいからだ。旅行中に車窓がパノラマになってしまうのは仕方ないが、僕はそれでも景色を眺める。そこに生きている人々の暮らしを想像し、自分が交われない日常を妄想する。その土地に根付いたものを少しでも感じようとする。

 例えば新幹線で過ぎ去る時、いつも天気が悪い場所がある。そこを通ると毎回雨なのだ。あの地域には田んぼがたくさんある。どんな暮らしをしているのだろう。学校が見えたが、コートが乾かないテニス部はいつも筋トレばかりをしているのだろうか。サッカー部はフットサルしか経験がないのだろうか。そんなことを思う。

 別に、移動時間を効率的に使う事を批難はしない。今は21世紀である。しかし、たまにはゆっくりと徒歩くらいの速度に返ることや、景色を眺めて妄想することをしてもいいのではないかと思う。嵐山に行って天龍寺や渡月橋に行かず、住宅街を回るのも楽しいのではないかと思う。そういうことだ。僕はこういった土地に根付いた体験と観光地の中間地点に京都の鴨川があると思うのだが、その議論はまたの機会に。

 今日は日記を頑張りすぎた。酒を飲んで寝ようと思う。

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