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掌が燃えている

2021年3月6日。芸人仲間5人でやってるユニット「コント犬」の本公演初日に向けて僕は有楽町の劇場に向かっていた。電車が駅に着し、改札までの階段を降りる途中、母親から電話があった。


「たった今、ばあちゃんが亡くなったよ」


テレビ電話に切り替えてもらって、ばあちゃんの顔を見た。安らかな寝顔に、言葉が全然出てこなくて、ありがとうもお疲れ様もなんも言えんくて、うん、うん、と頷いた。体調が悪くなっていたのも聞いていたから、たまにテレビ電話で話してたけど、この1、2日で急に体調が悪くなったようで。いつかはこの日が来るととわかってはいたけれど、頭で理解しても心が全く理解出来なかった。地元の観光大使になって、ようやく芸人として地元の町祭りで仕事をしてるところなんかを見せることが出来て、ようやくこれから少しずつ恩返し出来るぞと思った矢先に、コロナの世界になって。地元の営業も軒並み無くなり、帰ることが出来なくて。色々と話したいことが沢山あったのに。最後に話せずさよならすることになった悲しさと、どうしようもない悔しさが込み上げて、階段で座り込んで泣いた。


2時間後にはコント犬の本公演がある。90分のユニットコント。全部のコントに関わっていて、もちろん出番を空けられるわけもなく。こんな気持ちなのにコントしなくちゃいけないのか。こんな時でも誰かを笑わせなくちゃいけないのか。最愛のばあちゃんが亡くなったのに、自分はいったい何してるんだろう。一瞬この世界を呪ってわけわからんくなった。そしてその次の瞬間に、ばあちゃんに怒られた。待ってるお客さんがいるのに、なにメソメソしてんだ。さっさと行け。ぶっ飛ばすぞ!頭の中でそう怒鳴られた気がした。今まで一回も怒鳴られたことなんてないのに。


「わかったよ!少しぐらいいいやん」

「よくなか、早よいけ!!」


グッと涙を拭いて、会場に向かった。コント犬のメンバーはやさしいズタイ、男性ブランコ平井、空気階段かたまり、そいつどいつ松本、僕の5人。信頼しかない極上コント師のみんな。初日、最高の状態で100%をお客さんに届けたい。メンバーのみんなにはばあちゃんのことは言わず、本番に臨んだ。



考えたら涙が出るから、少しでもばあちゃんを想ったら涙が出るから。考えないようにして。集中しろ、集中しろ。お客さんの笑い声だけに心を傾けた。


そして4本目、僕と松本の2人だけの夫婦のコント。サラリーマン川柳に命を懸ける夫と、それを諌める妻。夫役の僕は、作品作りに苦悩する小説家の如くのたうち回り、絶叫する。それを馬鹿じゃないのと怒る妻。次第にエスカレートし、とうとう悟りの域に達した夫の放つ川柳。


「ちんぽこのねもと」


これからはリアルじゃない。シュールレアリズム。シュール川柳、そして芸術と性は深く関係してるんだ。そう言って夫が放った言葉は、


「ちんぽこのねもと」


僕はこの世界を呪った。こんな日に、ちんぽこで笑いをとることになるとは。コント犬は5人がそれぞれ1本ずつ台本を担当していて、このネタはかたまりが作ったネタ。ここまでは台本通りだが、この後の川柳のいくつかはフリーでお任せします。好きにやっちゃってくださいとのことだったので。この後はおつんぽこ、おつんつん、つんつんぽこぽこ、と派生しながら、自由に盛大に人生で1番性器を叫んだ。


このネタをやってる時の記憶がほとんど無い。覚えてるのはお客さんにはスベッて、袖の仲間たちにはウケて、松本と2人、滝のような汗と2万kcal消費したことだけだ。僕のボケをなんとかしようと懸命にツッコみ続けてくれた松本の顔も一生忘れないだろう。


そしてそのあとの5本目のネタ「きっかけは今日子の一言だった」

https://youtu.be/FQz5EYhRIjY


夏休みにプールでうなぎを育てようとする女子高生2人組。そこで出会うコンテンポラリーどじょうすくいダンサー。そこから学園七不思議の謎が明らかになっていく、少年少女の一夏の物語。25分のロングコント。僕が台本を担当したものの、全員の演技が素晴らしくて大好きなコントになった。そのラスト、主人公のおじいちゃん役の僕が、ダンサーのおばあちゃんと出会うシーン。そんなつもりでこのネタを書いたつもりもないのに、まさかばあちゃんが亡くなった日に、コントでばあちゃんに語りかけることになるとは。演技じゃなくて本気で泣いてしまった。なんだか全部が走馬灯のように思い出されて、顔がぐしゃぐしゃになって涙がこぼれた。目の前には鼻に割り箸突っ込んで女装してるタイなのに、なんだかその時だけは自分のばあちゃんに見えて、僕もまるで僕のじいちゃんになったように思えた。姿形も全く違うのに、なんだかそういう風に思った。



「茂三さん、ずっとあなたに言いたかったの。あなたの妻になれて、本当に幸せだったわ」


「わしもじゃ、お前のおかげで、子どもたちや孫たちに囲まれて、幸せに暮らしとる。ありがとう、チエさん」




次の日の7日、コント犬の千秋楽を終えてその足でタクシーに飛び乗って福岡までの最終便に乗った。それから福岡空港から電車で地元の田舎まで1時間半。葬儀場に着いたのは夜中12時過ぎだった。部屋の扉を開けると親戚のおっちゃんおばちゃん達が寝ないで待ってくれていた。おっちゃんおばちゃん達と言っても、じいちゃんばあちゃんの兄弟だからもうみんな70.80過ぎてるじいちゃんばあちゃん達で。
兄ちゃんや弟の若者ならまだしも、東京から帰ってくる僕を寝ないで待ってくれていた。何年振りかに会うのに、初めて見るまっ金髪の僕に、俺らと一緒たいとまっ白髪のおっちゃん達が笑う。ここまでの道中ずっと悲しかったはずなのに、なんだか嬉しくて笑った。



お前が来たなら呑むぞと、親戚中の70過ぎたおっちゃんやおばちゃん達と夜通し酒を呑んだ。
初めて聞くばあちゃんの話。白黒の写真から最近までの沢山のばあちゃんの写真が並んで。
60年以上前、ばあちゃんがじいちゃんの家に嫁いできた日。じいちゃんとのデート。ちっちゃい孫の僕らを抱いてるばあちゃん。趣味の三味線の大会に出てるばあちゃん。友達とゲートボールしてる時、家族で温泉行った時、金婚式、つい最近の米寿のお祝いでの写真。


じいちゃんの妹ののりこおばちゃんは、ばあちゃんが嫁いで来た時、まだ自分は小学生だったみたいで、綺麗な大人のばあちゃんを見て、お姫様が来たかと思った、あれは綺麗やった!とどれだけ感激したか来た日のことを事細かに教えてくれた。そんな話を聞くのは初めてだったから新鮮で面白くて嬉しくてしょうがなかった。


「久しぶりやねー光。いつもラジオ聴きよるぞ。こないだのテレビも見たよ。凄かたい」


小説にも書いた、高3の時にじいちゃんが亡くなった時も熱く励ましてくれた新おじちゃん。熱く僕の出た番組の感想だったり話してくれたが、じいちゃんばあちゃんの馴れ初めの恋バナを聞いて火がついたのか、自分の夫婦の馴れ初めを話しはじめようとして、もう寝ようとしてたふみおばちゃんに「いらんこと言わんでいい!」と怒られてた。



尽きない話に盛り上がる僕らおっちゃん達男性陣に、いつまで呑みよるとね!はよ寝らんね。とおばちゃん達女性陣が言う。お前らこそなんば寝ようとしよっとか。朝まで弔い酒たい!!



大広間にみんなで布団を並べて80近いじいちゃんばあちゃん達と夜中まで色んなこと話してギャーギャー騒いで、まるで修学旅行みたいだった。何世代も超えて、一緒の部屋でおんなじような青春の中にいた。


「ばあちゃんのおかげやなぁ。こうやって集まってみんなで呑めよるもんなぁ。」


ばあちゃんの弟さんが棺の中で先に寝てるばあちゃんに笑いながら言うもんだから、僕らも泣きながら笑った。


じいちゃんばあちゃん達が酔いつぶれて寝静まった中、ばあちゃんの隣で朝まで1人で呑んだ。改めてばあちゃんの昔の写真を見ながら、じいちゃんのことも想った。同い年の2人は16年前にじいちゃんが死んでからは、ばあちゃんの方がどんどん年上になっていって。ようやく逢えるね。でもそっちいったらじいちゃん緊張すんのかなぁ。だいぶ年上になったもんなばあちゃん。やっぱ久しぶりすぎて照れ臭いんかなぁ。いろんなことを思いながら2人を想った。


夜を越えて、朝が来る。葬式がはじまる2時間前。完全に二日酔いな僕を、だから早よ寝ろ言ったたいと親戚のおばちゃんから叩き起こされた。案の定、ほんとおばちゃんの言うとおり。でも楽しかったからしょうがない。あんな夜は2度とないから。


そして式のはじまる直前に孫代表で挨拶してくれと父親に頼まれる。


「いやいやいいよ、何も準備してないし」


「いけるやろ芸人なんやから」


「いやいや、そんな簡単に言うけど」


こういう時の芸人なんやからの無茶振りほどきついものはない。8歳の時にひいばあちゃんの葬式の時にひ孫代表でごく簡単なお別れの挨拶はしたことあるが、今や34歳。立派な大人の、曲がりなりにも10年芸人をやってるというハードルで、いきなり弔辞の挨拶は厳しすぎる。こういう場での所作も何も知らない。参ったなと思いながら、もう手紙を書く時間もなかったから、即興で原稿無しで挨拶することに。大変なことになった。赤塚不二夫さんへの弔辞を読むタモリさんのような。白紙でアドリブでいけるわけがない。でもやるしかない。大きい葬儀場で沢山の親族や参列客の方も沢山いる中、信じられない緊張でその時を迎えた。


名前を呼ばれ、心臓が加速する。


所作が合ってるかどうかもわからず、一礼して、写真のばあちゃんに向かって、話した。



ばあちゃんへ


長生きしてくれて、ありがとう。沢山の、沢山の幸せを貰いました。

親戚のおっちゃんおばちゃんたちと、いとこたちと、一つの部屋で。まるで修学旅行の夜のように、いろいろと沢山話せたのは、ばあちゃんのおかげです。芸人になるといって心配かけたけど、いつも応援してくれて、手紙や仕送りも。本当にありがとう。
観光大使になれて、みやまの産業祭で直接ネタを見せることが出来て。喜んでくれて。玄関前で写真を2人で撮ったね。嬉しかった。


ラジオも聞いてくれてありがとう。テレビ電話で、感動した!感動した!って、いっぱい褒めてくれてありがとう。あんたが頑張りよるときは、お父さんお母さん兄ちゃんも望もみんな頑張りよるけんね。あんただけやないけん、心配すんなよっていつも言ってくれた。
こんなコロナの世界になって、僕は東京にいて、もう会えないかとと思ったけど、最後に会えてよかった。最後にばあちゃんと会えてよかった。

なんだか、みんなで修学旅行して、ばあちゃんが、先に寝ただけのような気がして、なんか全然悲しくなかった。悲しいけど、悲しいんだけど、すげえ嬉しかった。僕はこの家に、あなたの孫に生まれてよかったと、そう思える夜でした。

15年、じいちゃん待ったと思うから、ゆっくり仲良くしてください。寂しかったろうからなじいちゃん。いっぱい、優しくしてくれな。2人の昔の、ツーショットが素敵すぎて涙出たよ。僕はあなたたちの孫でよかった、本当にありがとう。



気づいたら想いの丈は全部溢れてた。


式が終わり、みんなでばあちゃんを見送った。そのあと火葬場でばあちゃんの骨を貰った。心臓に出来るだけ近くにあった骨を、掌に乗せてもらった。
焼けるほどに熱くて、さっきまで燃えていたからそりゃそうなんだけど、熱くて、熱くて。ばあちゃんの魂がまだそこで燃えているような気がした。人生を、ばあちゃんを掌で抱きしめて、強く約束した。


親父が「おう、持ってけ」と笑って言った。


外は見上げたら雲ひとつない気持ちいいほどの晴天で。真っ直ぐ迷わずにじいちゃんのとこに行けたと思う。



駅まで車で送ってくれた弟から、僕が弔辞を読んでる時に親父が泣いてたことを聞く。そんな姿初めて見たと弟が驚いていた。僕も親父が泣いてるところなんて見たことなかった。当たり前だけど、僕のばあちゃんは、僕の親父の母親なんだよな。たった1人の母親なんだよな。


ばあちゃん、1年が経ったよ。なんだかまだ、実感ないよ。ばあちゃんにまた逢えると思ってる。死んじゃったのにまた逢えると思ってんだよ。時々ふと無性に思い出して寂しいよ。しょうがないよな。たまにはいいよな。全然上手くいかねえよ。悔しいことが沢山あったよ。でも嬉しいこともあったんだ。馬鹿みたいに楽しくやってる。夢中で生きてるよ。やっぱ最後喋りたかったなぁ。まだいっぱい褒められたかったなぁ。でも向こうでじいちゃんと仲良くやってくれてたら、それでいいよ。


きっといつか何年も何十年も経てば、ばあちゃんの声や顔や思い出は朧げになるかもしれない。それでもあの時の掌の熱さは一生忘れないと思う。燃えるように生きる。忘れないからね。俺は日本一の芸人になるよ。


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読んでいただきありがとうございます。読んで少しでもサポートしていただける気持ちになったら幸いです。サポートは全部、お笑いに注ぎ込みます。いつもありがとうございます。言葉、全部、力になります。心臓が燃えています。今夜も走れそうです。