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一人工房の良いところ(78/100回)

一人工房は依頼者と製作者の距離が近い。

最初から最後まで全て一人でやるので、相手のことを考えながらものづくりができる。

工程ひとつひとつに責任を持つことができるし、全てにおいて自分の判断が下せるというのは、作り手として幸せなことでもある。

効率は悪いけど、身の丈にあったものづくりは性に合っている。
それに依頼に合わせて細かく対応ができるのも一人工房の良いところだ。

たくさんの人が働く工場では、効率化のために仕事を分担して流れ作業をする。

その分、早く安く製作することができるのでお客さんにとってはメリットだし、仕事として捉えればこうあるべきだし否定はしない。

ただ実際に手を動かしている作業員からすると、誰のために何を作っているのか分からなくなる。

工場において作業手配書にはお客さんの名前や指定の印字内容、サイズ、素材といった記号化されたものが書かれている。

そこからはお客さんの顔はもちろん、どの業種でどんなものを作っているかは分からない。

余計なことを考えなくても、同じものはできるけど、僕は作業者の立場としてはやっぱり想いを込めてつくりたい。

記号相手に仕事をするのは意外につまらない。


3人のレンガを積んでいる人に「何をしているのですか?」と質問すると、1人は「重いレンガを積んでいる」と答え、もう1人は「大きな壁を作って金を稼いでいる」と答える。そして最後の1人は「歴史に残る美しい大聖堂を作っている。」と答える。
という話がある。

モチベーションの文脈で語られる有名な話だけど、僕はできるなら毎日大聖堂のことを考えて仕事をしていたい。
そして訪れる人の驚く顔や、町の人たちの誇らしい様子を思い浮かべていたい。

それに、活き活きと仕事をする人に作られる大聖堂の方が、素晴らしいものになるに違いない。


20年ほど前、職業訓練校で溶接を学んでいた。
周りは中学を卒業したばかりの10代から、定年したばかりの60代までと幅広い生徒が在籍していた。

僕はまだ社会に出る前だったので、社会人の先輩を捕まえて聞いてみた。

「どうすればずっと楽しく、やる気を持って仕事ができますか?」

すると大人たちはみな「仕事なんか惰性でやるもんだ」「やる気があるのは最初だけだよ」「高い給料の仕事だったらやる気になるかな」という答えが返ってきた。

今となっては大人たちの言っていることは理解できるけど、当時はとてもショックだった。
僕はこの先何十年も惰性で仕事をしないといけないのかと、がっくりしたのを思い出す。


でも僕はいつまでも楽しく仕事がしたい、という想いは捨てられなかった。
だから今、一人でものづくりをしている。


社会に出て自分の理想の仕事を追うのはとても難しい。
会社に所属すれば効率よく仕事をこなすことを求められるし、やりたくないことも当然出てくる。
毎日の業務に押しつぶされて、いちいち大聖堂のことを考えている余裕はなくなってしまう。
それにレンガを詰むことが嫌で嫌でしょうがない人は会社にはいっぱいいる。

そんな中でやりがいを持って仕事をはじめても、時間が経てば嫌になってしまう。


1人で打ち合わせから製作までしていれば必ずお客さんのことを思い浮かべる。
目的と自分の仕事が直結している感じがたまらなく良い。
大変なことはもちろんあるけれど、大聖堂のことを思えば苦にならない。

僕はそこにやりがいを感じている。


自分なりの大聖堂を作ることができるのが、一人工房の良いところだと思う。

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