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自分で自分を褒めてあげよう。(17/100回)

人生や仕事において何かを成し遂げることは良いことだ。

そう思って生きてきたし、まあ悪いことじゃないと思う。


ただこの目標の立て方次第で、QOLって大きく変わる。

目標が無いと人生はつまらないけど、いつまで経っても達成できない高すぎる目標は自分を苦しめる。

僕自身、目標をクリアすることが目的になってしまい、現時点での成長を自分で評価できない。

「まだまだ」「もっともっと」という向上心は自分を縛る足枷にもなりかねない。


校長先生の話しで唯一記憶に残っているものがある。

坂の上にある小学校に自転車で通勤していた校長先生は、足をつかないで登ってくることを日課にしていた。

もともと運動不足解消のためにはじめた自転車通勤だったらしく、最初のうちはすぐに息が上がって足をついていのだけれど、何ヶ月も続けるうちに学校のすぐ近くまで足をつかずに坂を登ってこられるようになった。

その頃に朝礼か何かで「先生は毎朝、今日はあの電柱まで行こう。明日は電柱の先の看板まで行こう」

と細かく目標を決めていると話をしてくれた。

決して「学校まで足をつかずに登りきる」ことを目標にせず、その日決めた場所まで行くことを目標にして、目標が達成できれば周りの生徒に自慢していた。

目標を細かく区切り、小さな成功を積み上げることで気がつけば大きな目標を達成することができる。


校長先生のありがたいお話としては70点である。


大人になって思い出すと度に陳腐だなと思っていたのだけど、この「小さな目標設定」はできても「目標を達成した自分を認めてあげる」というは思いのほか難しい。

というかほとんどできない。


小さな目標を設定しても、達成する目前で、まだ行けるんじゃないかと欲が出る。

欲が出ると「目標を達成した自分」はあっという間に消え去り、「新たな目標に挑戦する自分」がむくむくと大きくなってくる。

一見良いことのようだけど、目標を達成した自分をきっちりと認めてあげないと新たな目標に挑戦する活力が貯まらず、いつまで経っても渇望感が消えない。


短期的な目標達成なら自分に負荷をかけることは必要だけど、目標のスパンが「人生」みたいな長いものだと辛くなる。


今思えば校長は朝礼で目標の話をすることで、生徒に教訓を伝えながら、自分を認める機会にしていたのかもしれないなと思う。

大人になった今なら校長の気持ちが分かる気がする。

それくらい自分を自分で認めてあげることは難しい。


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