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「写ルンです」一本撮ってきて。という旅のお土産

写真を先に選んだら、何を書くか進まなくなってしまいました。

栗′20、美味しかったですよ。とても。薯蕷饅頭でした。

以前は、美味しそう!って思ったら、よく写真を撮っていましたが、最近はだいぶ減りました。写真を撮るよりおいしく食べるほうが優るのです。

写真を撮っている間は客観的な距離と時間が少しできるけど、それをやめたらひたすら主観でとことん味わえる気がします。

どっちも楽しいですよね。

家だと、晩ごはんの後に、和菓子や洋菓子とお茶を飲むことが多く、そうすると白熱灯の光になりライトが反射して、私の写真の腕ではうまいこと撮れないのも一因です。あと家は背景がたまによろしくないものが写り込んでしまったり。

カメラは、ずいぶん昔に一眼レフやら購入して頑張っていた時があるのですが、だんだんとスマホのカメラの性能がよくなり、一眼レフの重さと嵩高さから手にすることが遠のいて、そのうち撮り方も忘れてきているけれど、ときおりやっぱりちゃんとしたカメラでファインダーを覗いて撮るのはいいよなあと思います。


そういえば昔、写ルンですが主流だった頃、海外旅行などに行く友達に新品の写ルンですを渡して、これ一本分何でも好きに写真を(私のために)撮ってきてもらえないかと頼んでた時期があります。

こう書くと、改めてなんともあつかましいですよね。

そうして旅行から帰ってきた友達からカメラを受け取り、現像に出して、友だちが撮った写真を友だちより先にワクワク見てました。

私にとシャッターを切ってくれた瞬間たち。何でこの写真を撮ってくれたのかなあって考えながら見るのは何よりのお土産でした。

普通は、自分が良いと思って撮り、後で自分が見返したり、その写真を自分が持っていることが前提で、それを他の誰かに見せることが多いと思います。

でも、これは最初から人に(私に)見せるため、なんならどんな風に写っているのか確かめられない状態で、本当に撮るだけというなかなかヘンテコな申し出です。(後から現像した写真を見せたと思います。)

何人かにお願いして見ていると、本当に人それぞれの切り取り方をしていて、すごく楽しかったです。私が見たら喜びそうなものを撮ってくれたり、私のイメージってこんな感じなんだなあとか。

今はスマホで撮ったらすぐに見れるし、遠くからもリアルタイムで送ったりして簡単にたくさん共有できる便利な時代です。しかもすごく鮮明にきれいに撮れます。

フイルムだと夜は暗かったり、目が赤く光ったり、画素もだいぶ粗かったけれど、すぐに見れないし、写りもブレてたりするし、枚数も限られているのだけど、そのタイムラグやボケやペース配分みたいなものがおもしろくて、そうゆうのを楽しめる寛容な空気が心地よかったり。

行ったことのない場所の私だけのアルバムができること。私のために切り取られた風景。自分では見つけられなかった景色。

写真を撮る瞬間と撮った人、現像して一枚の写真にプリントされたタイミングとそれを見る人、それがあべこべになるのも面白かったなあ。

お互いに委ねて、楽しむ。

なんていろいろ書いたけれど、海外旅行に行って自分のカメラとは別にわざわざ、ひと手間かけてフイルム一本分の写真を撮ってほしいなんていう、そんなよくわからない申し出を快く楽しんで共有してくれた友に本当に感謝でいっぱいです。

お願いした人は、誰も断るひとがいませんでした。むしろみんなすごく撮ってくれたから逆にちょっと申し訳なくなってきて、お願いするのをやめました。自分の旅に専念してねーって。


自分が見た美しい光景をあのひとにも見せてあげたいって気持ちは、旅先はもちろん、日々の中でも、いつでもどこでも、贈る方も受け取る方もほんとうにしあわせですよね。

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