何気ない日常の「特別」
先日、また「レベル」が1つ上がった
毎年経験することだけれども、その際にかけてもらう言葉が嬉しくて‥‥
「ああ、本当にしあわせなんだな、私って」と感じたのです
普段は何気ない日常を過ごし、特別な「何か」があるわけではないよね‥‥
朝起きて、お散歩して、朝ごはんを食べて‥‥そんな「判で押したような」毎日を過ごしていると、どうしても「自分の存在意義」を見失うのです
なんだろうな‥‥「立ち位置」がわからなくなってしまうの
そんな日々にある「特別」
存在意義の確認、大切な人達との接点、生への感謝、死への心構え‥‥
改めて考えるための、人生の中に差し込む「しおり」なのかな
走っている時は、後ろを振り返る事はしないようにしているけれど、辛いことや悲しいことがあって立ち止まってしまった時、差し込んだ「しおり」の部分を見返して、明日への原動力にしているのかもしれません
私の拙い文章にコメントをくださる方々にも本当に感謝しかなく、「毎日が特別」なんじゃないかと錯覚するほどです
特に今回の「誕生日」記事には、これを書いている時点で18名もの方がメッセージを寄せてくださいました
私にとっての「特別」
それは、何気ない日常に声をかけてくださる「皆様の存在」なんだと思います
「当たり前」の反対は「有り難う」
「有る」のが難しいから「有り難う」なのだそうです
当たり前の日々に「特別」を感じさせてくださる全ての皆様へ
ありがとう!
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