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Icemanにとらわれた、とあるDAクラスターの話②


Icemanの急な休止でaccessを受け入れられず、失意の中で聞いたソロライブの曲に心を動かされ、再び浅倉大介を追うことを決意した私のお話の続き。


前回はこちら。


生まれた心の余裕


「21st Fortune 〜beautiful symphony〜」のライブの後、3rdソロアルバム「21st Fortune 」はまずコンプリートBOXという形でCD・VHS・DVDセットになって2002年9月にリリースされた。
ここに入ってるVHSは21st Fortuneライブの映像なのだが、現在このVHSでしか見れない大変貴重なものでaccessやIcemanのカバーも数多くあり、これ単品でDVD化されていないのが本当に残念過ぎる!(ので、どうか単体DVD化お願いします)伝説の水平さん衣装をっ!

そして、2002年11月アルバム単体で「21st Fortune CD」としてリリースされたのを手に入れた。DVDは同時に発売されていたがリプライスされた方を買い、これが人生初めて買ったDVDだから凄く感慨深い。

その後はaccessが動き出したのでソロはしばらくお休み。でももう、それに対して悲観的なことは無く、accessはaccess、DAソロはDAソロという切り分けが私の中では出来ていて、たまに面白そうなことをソロでやってくれればいいや〜的なのんきな気分であった。

しかし。
動き出したはずのaccessが2003年の初めにアルバムとシングルをリリースしたきり止まり、ソロも特に動かずどうしたんだろうか、とは思っていた。
いつだったかは覚えていないが、風の噂程度に大ちゃんがある事態に巻き込まれているのを知る。

そう、「CCCD問題」だ。

正直、当初はあまり深くは知らなかったのだが、大ちゃんが何かCCCDで揉めている…というのは何となく知っていた。私はCDを買っての応援が中心だったので、ちょっと大丈夫かな…?と心配しつつ、待つことしか出来なかったのだけど。


そして2004年春からCCCD問題なんて何のその、怒涛の浅倉大介ソロ祭りが始まる。「Quantum Mechanics Rainbow」シリーズ始動である。

ソロアルバム7枚連続リリースという計画を知った時は、それはもう嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。まさか、ソロでこんなガッツリ供給があるとは思ってなかったので、私の期待ボルテージは上がりまくりんぐ状態だった。

ここから私の浅倉大介ソロ、ハマり度MAX絶頂期に突入する。




堕ちてゆく 虹の果て


「Quantum Mechanics Rainbow」は1年間で7枚リリースするという、かなりハイペースなとんでもない企画だった。

もちろん大ちゃん自身も出来るという自負があったからこそ始めた事だとは思うが、それにしてもだいぶ無茶をしたなぁ…という感じだ。
当時の大ちゃん自身が置かれた状況などが影響した虹シリーズに関しては、語りたい事がたくさんありすぎるので、また別途まとめようと思う。(実はざっくり書いただけでも1万字超えたくらいこのシリーズには思い入れがあり過ぎる)


虹シリーズによるハイペースな新曲ラッシュでボコボコ生まれる名曲の数々に、私の大ちゃん好きー!というテンションは、かなり高い状態が続いた。

リアルタイムでアルバム全部揃えていった最後に「Red Trigger-赤の誘発思動期-」を手にした時の感動は、本当に半端なかった。
ついに完結したね、大ちゃん…!というおめでとうの気持ちと、こんなにも楽しみにしていたシリーズが終わってしまった…という悲しみの気持ち。
たった1枚のアルバムなのだが、手に取った時の重みは今まで自分が手にしてきたどのアルバムよりも重く、そしてとても幸福な一枚だった。

今ではすっかり便利な世の中になり、配信や通販で欲しい曲がすぐ手に入る時代になったが、あの当時のCDショップで買ってどんな曲が入っているのかワクワクしながら家まで帰るあの楽しみは、唯一無二の素敵な時間だったなぁとしみじみと思う。
たまには実店舗で予約してわざわざ取りに行くのも悪くないな、なんてこのnoteを書きながら思った。


虹シリーズのライブは計3回、2004年10月「Live Tour '04 Cultivate Meme」、2005年3月「Quantum Mechanics Rainbow」、2005年10月「Live Tour '05 Drive Meme」、東京公演を各1回行っている。

3つとも全然アレンジとかライブの方向性が違うすんばらしいライブなのでもうDVD見てくれ(雑なダイマ)
曲や演出の素晴らしさも然ることながら、なんだかんだ天下のフジ系列。カメラワークが素晴らしい。


虹シリーズによって大ちゃんの音楽性の虜となった私は、ますますDAソロの深淵にハマっていった。

本当に心底「マジ、大ちゃんサイコ~~~!大好き~~~っ!」と、なっていた私なのだが……。



おれの女神(大ちゃん)は微笑んでなんかくれねえっ!!
横っ面を…ひっぱたくんだよおっ!!!

(大ちゃんだけに「ダイの大冒険」から。なんちゃって。)



虹ライブシリーズ総締めとなる「Live Tour '05 Drive Meme」が終わった直後。
楽しいソロライブの余韻に浸る暇もなく、あの「ウィルス」で私の横っ面は思いっきりひっぱたかれるのである。




甘い陶酔の音楽ウィルス「Sequence Virus」


私はクラブイベントと呼ばれる「Seq Virus」が行われていたことはこの2005年「Drive Meme」の時まで知らなかった。

過去の会場を確認したところ、クラブイベント「Seq Virus」がこんなに大きな会場で行われたのは初めてのことだと思う。大きいキャパだったこともあり、宣伝も大々的だったのかもしれない。私はここでようやくその「Seq Virus」という存在を知る。
東京近郊に住んでいたこともあり、帰りの時間は余裕だったので「ほーん」という軽い気持ちでチケットを取った。
開始はソロライブ終了後の21時過ぎ、終了はなんと24時近かったらしいので、本当に限られた人しか参加が難しい初の大規模クラブイベントだった。

私は本来のクラブというものがどんなことが行われる場所かはわからないのだが、浅倉大介のライブにおける「クラブイベント」というのは、自身の曲をノンストップでかけ続け、腕を振ったりその場でジャンプして盛り上がるイベントだ。基本的に大きい会場の後ろの方でもないと踊るスペースはない。…まぁ結局の所、オールスタンディングのライブだ。

クラブ活動…、略して「部活」とファンの間では呼ばれている。

「Seq Virus 2005」で一番面白かったのは「ディズニーハロウィーン2005」と「techno beethoven」のマッシュアップ(別の曲をミックスして1曲にすること)だ。多分、初っぱなにやった気がする。
パ・パ・パ・パ パ・パ・パンプキ~ン♪って歌を、「techno beethoven」バックにして歌えってきたもんだ。もう何ちゅー発想するんだ!と可笑しくて可笑しくて、いきなりテンションMAXになった。

他にはT-SQUAREの「TRUTH」は印象に残っている。この時は大ちゃんのF1ブームが凄かったからね。後、恋のマイアヒとかやった。流行ってたね~懐かし…って、もうそんな前なのか…。

印象に残っているのが大ちゃんの曲以外ばかりなのは、部活では大ちゃんの曲以外が聞けることにむちゃくちゃビックリしたからだ。
普通のアーティストとしてのライブだと有り得ない選曲なわけで、これがまた部活の醍醐味でもある。

初体験のクラブイベントは楽しすぎて、他はとにかく「たっのし~~~~い~~っ!!」って記憶しか残っていない。
私はあんまり前に行く方ではなく、後ろで呑気に音楽聞くだけ~なんて甘っちょろい考えだったのだが、まぁ見事にしてやられた!
空いてるスペースでガンガンに腕振って踊ってたんで、記憶容量にエネルギーを回せるわけがない。

その日のライブ会場で買ったクラブアレンジCD「Sequence Virus」2004と2005。そりゃもう持ち帰って早く聞きたくてワックワク!
その日はもちろん無理だったので次の日、ドキドキしながらそのCDを聞いた。


めちゃくちゃ好みじゃん……このCD…(吐血)

膝から崩れ落ちた。(別に立って聞いてたわけではない)

私は基本的にBPMが早い、いわゆるノれる曲が大好きだ。

Sequence VirusシリーズはクラブアレンジのCDなので、ノリのいい曲ばかりを1時間ノンストップでみっちり収録されている。曲間もない為、金太郎飴のごとく、どこを聞いてもDAの音!!

お得が過ぎる神CD~~っ!!!!

すっかり、Sequence Virusにどハマリしてしまったのである。


人生何度目かな?浅倉大介に落ちたのは。




最新過ぎてついていけない


度々、浅倉大介という男は最新を行き過ぎてファンを置いてけぼりにすることがある。

まず、1995年の3rdソロアルバム「ELECTROMANCER」。
PCがようやく普及してきたという頃だったのに、アルバムの初回特典にCD-ROMを付けてきた。割とミーハーだった父のおかげで、我が家にはMacがあったのだが、スペックが足りずカックカクでまともに再生出来なかった。PCだけでなくスペックまで要求してきたのである。
「見れるもんなら見てみろ~」とドヤ顔をするドS浅倉大介が見える……、見えるぞ……。

その後、PS2が発売される2000年よりも前、まだDVDがろくに普及していない1998年。IcemanのライブをDVDでリリースしたのだが、邦楽DVDでは史上2番目だったそうだ。(1番は谷村新司らしい。これはこれで凄い)
私はこのDVDの購入は潔く諦めた。(まぁ同じものがビデオで出てたし)

そしてPS2が発売され、ようやくDVDが普及してきた頃の2002年に発売された「21st Fortune DVD」は、もうDVDを再生出来ることなんて当たり前、次は5.1chサラウンドスピーカーで聞いてね☆ と、またとんだドSっぷりを発揮。
私が5.1chサラウンドで実際にこのDVDを再生できたのは2020年である。最後の0と2が入れ替わってるよ。とんだ時代遅れもいいところだ。

とにかくこの手の最新システムに対する導入への飽くなき挑戦は、度々ファンを巻き込んで物議を醸してきた浅倉大介なのである(笑)


さて、2007年から始まった「DA METAVERSE」シリーズもご多分に漏れず、新たな試みとしてネット配信のみのリリースとなった。

ここで初めて、私は浅倉大介の最新を追うことが出来ない挫折を味わう。

こう言っちゃ何だが、私はそこそこパソコンは扱える方だ。
一応、配信の購入を試みたのだが、何だかよくわからなくて挫折した。(個人的に今もiTunesはよく分からないので好きじゃない)
今では配信で買うなんて当たり前の時代だし、当時何で出来なかったのか全く思い出せないのだが、13年前は少なくとも"当たり前"ではなかった。

ただ配信で買えないことに対して、私はちょっと甘い気持ちでいたのは否めない。そのうちまとめたCDが出るだろうと思っていたからだ(結局、この配信をまとめたCDが出たのは2013年、と5年以上先にになる)

後、もう1つ配信を慌てて買わなくてもいいかと思った要因、それはSequence Virus CDの存在だ。全部の曲は入らなかったが、アレンジされてるとは言え、割とこのCDにその時リリースした配信曲が入っていたので、これで聞けるからいいや、となってしまったのである。

虹シリーズの時に比べるとペースが落ちた為、熱量的には少し落ち着いたものの、Sequence Virusは毎年コンスタントにリリースされていたし、必ずソロコンサートとセットで部活が行われていた為、私は毎年秋の恒例行事を楽しみにしていた。

そんな程よい距離感で楽しんでいたDAソロだったのだが、一つ大きな転機が2010年始めに起きる。

ここで私のファンとしての歴史が大きく動くことになった──。




トラウマ


METAVERSE以降、DAソロをまったりと追いかけていた2009年までを終え、明けた2010年の4月半ば。

まずは私に人生最大の厄災が降りかかる。

それは──


趣味のスキーで足を骨折する、という大事故である。


ちょっとポッキリ、とかそんなレベルではない。左足の脛の太い骨と細い骨の真ん中付近を両方ボッキリいった。

即・入院。

軽さと値段を取って、衝撃があっても外れないタイプのビンディングのショートスキーを使っていたのだが、あのビンディングは止めておけ(やる人いるんだか知らないけど)マジで。全然スピード出してないのに、あっさり折れた。人間の体なんて、実に脆いものだ。


毎日のようにうなされる半端ない痛みと慣れない入院生活で、私の精神はズタボロ状態になっていた。もちろんそんな状態では大ちゃんを追いかける所ではない。
退院後も松葉杖をついて電車で会社に行かなければならず、本当に痛みと大変さで泣くつらい毎日だった。


そんな日々の中でふと思い出した私は、大ちゃんのTwitterを……、見てしまった。



私が見ていなかった2010年4月、大ちゃんのTwitterでそれは起きていた。

大ちゃんをずっと知っている人なら、ピンと来るだろうか…。


2010年4月、大ちゃんが溺愛していたゴールデンレトリバーのアル君がお星様になった。
愛犬との初めての永遠のお別れである。

その時のTwitterでの大ちゃんの様子は、筆舌に尽くしがたい……。このnoteを書くにあたって再度、読み返してみようと試みたが、申し訳ないが未だに私は最後まで読むことは出来ない。

エンターテイナーとしての姿勢を徹底していた大ちゃんが、突如見せた一連の壮絶な悲しみという『負の感情』のツイートの数々に、私は自身に持つトラウマをオーバーラップさせてしまった。


私はかつて、1匹の雄のゴールデンレトリバーを飼っていた。
名前は「アレックス」という。
……そう、本当に偶然にも大ちゃんの愛犬と同じ犬種・性別・名前だったのである。勝手な話だが、大ちゃんのワンコの名前を初めて知った時はこんな偶然があるのかと運命を感じてしまった。

私と愛犬とは別れの際に少し色々あったのだが、とてもナイーブな話であるのと今回の本筋からは逸れるのでここで多くは語らない。
ただ、この愛犬との事は思い出す度に涙が止まらないほど、私には物凄くトラウマなことだった。忘れてはいけないことなのだが…、あまり思い出したくない事なのだ。


ただでさえつらい痛みと戦わなければならない生活でズタボロの精神状態だったところに、アル君への一連のツイートでトラウマを呼び起こされてしまい、私の精神は……耐えることが出来なかった。

嫌いになったわけじゃないのに、大ちゃんを見れないし、曲を聞けなくなってしまった。


そして、DAソロの長い沈黙と共に、私も長らくファンとしての歩みを沈黙させる。


私は私の心から、大好きな人の音楽を、自ら──消した。




命の危機に触れて募る想い


大骨折から1年後の2011年春、人間の体というものは凄いもので1年経らずでボッキリいった骨がくっついたらしい。

プレートとボルトという金属を骨に付けて回復を待ち、取り外しても問題がない所まで骨が繋がったので、その金属を外す手術をする事が決まった。


手術日は、── 2011年3月11日


なんとあの未曾有の大地震の日が手術日だったのだ。手術は午前中に無事終わり、その午後、まだ車椅子の状態でお手洗いに行っている最中にあの地震を食らった。
本気で下半身を出したまま、死ぬかと思った。

入院中に災害を受けるというのはなかなか無い体験だったと思う。色々世界が混乱する中、上げ膳据え膳で3食出してもらえるというのはなんとありがたいことか。
しかし、気楽な入院生活だったかというとそうでもない。
当時、その後もちょくちょく余震が続いており、その度に悩まされたのが緊急地震速報の音である。
大部屋だったので各自の携帯から鳴るのはもちろん、病院は非常事態に備える為なのかナースステーションからかなり大きく鳴り響くようになっていた。昼夜構わず鳴るあの不快な音はとにかく苦痛で、耳を塞いでも聞こえてくるし毎晩憂鬱だった。
そして入院生活が終わっても、依然として関東は計画停電などの異常事態が続き、不安な生活が続いた。


そんな鬱屈とした生活の中で、私は本当にふと「大ちゃんに会いたいな…」と思った。本当にそれは、ふとした思いだった。

命の危機的状況に追い込まれて、今まで消していた大ちゃんへの思いの封印を、ようやく解くことが出来た。




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