見出し画像

緩和ケア病棟に移った祖父#2

2020.07.07
僕は昨日のせいで今日も目がパンパンに腫れ上がっていた

午後の面会時間に合わせて今日も病院へ向かう。
緩和ケア病棟は何時でも面会できると聞いていたが面会時間内に行くことにこだわりたかった。

部屋に入ると昨日とあまり変わらない祖父に会う。
ただ、看護師さんの話ではご飯は全然食べられていないらしい。
プリンとか甘いものなら食べれそう?と看護師さんを交えて3人で話した。
数ヶ月前までは医者に隠れてまで食べていたじいなのに今ではそれにも気が乗らなくなっていた。
「ここではもう何でも好きなもの食べていいですからね。」
看護師さんの言葉には優しさの裏側にまた別の意味も含まれていそうだった。
今になると食べたいものを我慢しなさいって言われている頃の方がよっぽど良かったことに気づいた。

今日は七夕なこともあって病棟には七夕飾りがされていた。
普段はホールで演奏会があるらしいが今年は各病室に楽器を持った病院の方が回って演奏をしてくれた。
それほど音楽に関心のなかったじいなのでリクエストは特にないと答えた。
それなら、ということで病院の方が美空ひばりの愛燦燦を演奏してくれた。
僕は今まで音楽に感動することはあったが今日ほど胸に刺さったものはない。
弦が奏でるメロディに胸を打たれた。
またじいの背中側で泣いた。
最近泣きすぎてるな笑

その後車椅子で病棟の七夕飾りの前で写真を撮りに行った。
これから毎回写真を撮ろうと決めていたのでむしろ好都合だったがうまく笑えなかった。

部屋に戻るとじいは一休みすると言って横になった。
正直目の前でお話しして笑って動くじいの姿と昨日お医者さんから聞いたお話にギャップがあって精神的にはすごく複雑な気分が続いた。

ウトウトしながらじいが話し始めた。
それまではたわいもない話もしていたが急にトーンが変わった。
朝が来て名前を呼ばれても返事ができなくなっちゃうかもしれないんだからな、、
何言ってんのと返すと
いや、ほんとの話だよと。
続けて、だから覚悟はしといてくれよって言った。
返す言葉が見つからなかった。
それでも涙は溢れた。

病院の方が短冊を用意してくれた。
正直何を書いていいのかがわからなかった。
前の病棟のままだったら胸を張って早く治りますように。って書けていたと思う
他の人がどんなことを書いているのか見ると中には苦しみませんようにと書かれているものもあった。
僕の願いとしてはもちろん治ってほしいが、ここの病棟に来たということはそれを望みにしていいのかがわからなかった。
調べた。
「緩和ケア 退院」
もちろん事例はあるらしい。
癌が急に消えることもあるらしい。
それを願うしかなかった。
それが奇跡だと思った。
短冊の表面、じいの見える方にはじいが元気になりますようにと書いた。
裏側には奇跡が起こりますようにと書いた。

今日は2時間以上じいの病室で過ごした。
自分は競馬をやったことないけどじいと競馬の話をした。
たわいもない話をできている時間が幸せなんだと思う。

今日、じいはヨーグルトを食べることができた。
嬉しかった。
ヨーグルト1つ食べられたことにこんなに嬉しくなるのは今までになかった。
シュークリームとかプリンも買ってきてあるから、この調子で食べれる時は食べた方がいいよ。と声をかけた。
シュークリームは夜中こっそり食べるんだとじいは笑った。
その瞬間はまさしく昔のじいの表情だった。


無理に進めたくはないけど無理に進めてまでご飯を食べてもらいたい。
とにかく体力をつけてもらいたい。
なんとかまた治療ができる体になってもらいたい。
そして治ってもらいたい。

僕はまた明日も来るねと言って病室を出た。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?