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『はらぺこあおむし』翻訳のはなし | もりひさし先生インタビュー

はらぺこあおむしカフェin吉祥寺には、とある「宝物」があります。それは、絵本『はらぺこあおむし』の翻訳者・故もりひさし先生の直筆サイン入りランチョンマット。2018年に銀座で開催された「はらぺこあおむしカフェ」で、先生に書いて頂いたものです。

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先生はその後も何度かご家族とお食事に来てくださり、『はらぺこあおむし』ファンの筆者はそのご縁で同年2018年9月に先生のお家にお邪魔しました。
そのわずか2ヶ月後、先生は101歳のお誕生日を迎えられた後に天国へ…。

日本での刊行(1976年)からおよそ半世紀もの間、子供達を夢中にしている絵本の言葉はどのようにして紡がれたのか。あの日私が先生にお聞きしたことを残そうと思います。

< プロフィール >
もりひさし(1917年10月2日 - 2018年11月9日)
本名・森久保仙太郎。作家、絵本研究家、歌人として活躍。
創作絵本に『ちいさなきいろいかさ』(金の星社)、「こぐまちゃんえほん」シリーズ(こぐま社)など。絵本の翻訳に『はらぺこあおむし』『パパ、お月さまとって!』(偕成社)「くまのアーネストおじさん」シリーズ(BL出版)など多数。


私はこれまで、先生が翻訳された『はらぺこあおむし』を何気なく読んできました。ある時、仕事の関係で原作(英語版)を読んだのですが、その時初めて日本語版が原作とは異なった表現をしていると気づきました。最初のお月さまのページから、とてもロマンチックに翻訳されています。先生が当時どのようにお仕事をされたのか、お話を伺いたいです。

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英語版:In the light of the moon a little egg lay on a leaf.
(訳:月明かりの中、はっぱの上に小さなたまごがあります)


日本語版:「おや、はっぱの うえに ちっちゃな たまご」
おつきさまが、そらからみて いいました。

もり先生:
ありがとうございます。翻訳のお話を頂いたのは、私が58歳の時でした。たまたま偕成社(『はらぺこあおむし』の出版社)の若い編集者が私を見つけてくれましてね。彼女は私がシナリオを担当した『ちいさなきいろいかさ』という絵本が大好きだったそうで、あの作品のような綺麗なリズムの翻訳絵本を作りたいと声をかけてくれました。


『ちいさなきいろいかさ』も、雨の音や独特な擬音が面白い絵本でした。編集の方は、先生ならではの日本語のリズムに注目されたのですね。

もり先生:
私自身が翻訳の仕事なんてやったことがなかったのに、よく頼んでくださいました。私は学生時代に戦争があった世代なので、英語を勉強せずに大人になったものですから。仕事を頼まれた当時も、日本ではまだ海外の絵本は珍しかったと思います。

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勝手ながら、先生は語学が達者でいらっしゃるのかと思っていました。翻訳作業は一体どのように…?

もり先生:
実は、大学生だった娘が手伝ってくれました。娘は言葉に対して良い感覚を持っていてね。色々と相談にのってくれました。
また、同じシーンを国ごとに並べてどう翻訳されているか比べたり、様々な人にも協力してもらいました。原作者のカールさんはドイツ系のアメリカ人なので、「何語の表現に寄せていくのがいいでしょうか?」とお聞きしたこともありますよ。

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(2017年エリック・カール展 @世田谷美術館 でのツーショット)


カールさんはなんとおっしゃったのですか?

もり先生:
「あなたたち、日本の人がいいと思う言葉にしてください」と。大変シンプルなお返事をいただきました(笑)


さすが、自由の国・アメリカですね。シンプルながら、ハッとさせられるお言葉です。

もり先生:
そうでしょう。それからは自分なりに絵本を解釈して、言葉を研ぎ澄ませていきました。私は絵本の文章を考える時は絵の表情をじっくりと見て、ピンとくる言葉を選びます。そうすると、おのずとその作品に合ったリズムが生まれてくるのです。

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もり先生:
『はらぺこあおむし』は出版まで1年くらいかかりました。今声に出して読んでみても、感触がいい作品です。カールさんも日本語を気に入ってね。「声に出した時の『はらぺこ』がとても面白い」とおっしゃってくださって。


きっと海外の方にも面白く響く言葉なのでしょうね。ところで、先生はなぜ『The Very Hungry Caterpillar』を『はらぺこあおむし』と名付けたのですか?「とてもおなかがすいたいもむしくん」でもあり得たわけですよね?

もり先生:
一冊の絵本のネーミングといっても、色んな思い出がありますね。私は「はらぺこ」という言葉がカールさんの絵にぴったりな、いい言葉だと思っていたのですが、「はらぺこ」は「ひもじい」というイメージもあって、どちらかというとあまり上品な言葉ではなかった。当初は偕成社とタイトルについて議論した記憶がありますよ。最終的には偕成社の社長さんから「『はらぺこ』でいきましょう」とOKをもらえました。

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(先生のサイン横には「naming」と書いてあります。)


最初はマイナスなイメージだった言葉が、今やロングセラー絵本のタイトルになっているなんて。すごいことです。

もり先生:
言葉は「動く、変わる」ということでしょうかね。
やっぱりいい言葉は最後に残るのかもしれません。立派な「いい言葉」というよりもね、使いやすく、親しみやすい言葉がいいですね。


時代も変わって、今は「はらぺこ」という言葉に大人も子供も楽しさを感じている気がします。「おなかがすいた」という何でもないことを面白がれるのは幸せなことです。

もり先生:
この間テレビを見ていたら、幼稚園の先生が「はらぺこあおむしだー!」と大きな声で言ったんですよ。絵本の読み聞かせをするのかと思ったら、なんとお弁当の時間の合図でした。おなかがすいたからお昼にしようと、子供達がたくさんワーッと集まっていてね。あれは嬉しかったですね。

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『はらぺこあおむし』は、カールさんの「色彩」と、もり先生の「言葉」の魔法が込められている一冊。ふたりの魔法使いが作った絵本は、これから先もたくさんの人を笑顔にしてくれることでしょう。
もり先生、本当にありがとうございました。

(おわり)