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グレーゾーンの父と過ごす

母の入院中、父との関わりに変化があって、それが私にとって、とても嬉しい出来事だったので忘れてしまう前に書き残しておきたいと思います。



母の不在中、父と一緒に過ごし、洗濯機の使い方、洗濯物の干し方やたたみ方、しまい方、電子レンジの使い方を覚えて自分で出来るようになってもらいました。
食事と掃除は私が3日ごと行って手伝うようにしました。
これまで父は家事はほとんど母に任せきりだったけど、父も簡単な身の回りのことは覚えたら出来るようになってくれました。



私は子供のころ自分の父親が苦手でした。

ある時は急に怒り出し、「お前はもう口を聞くな!」と言われたり。

進路相談をしたくても話がなんだかトンチンカンな方向にそれて行って、そのうちに父が1人で語りはじめるのを適当に「うん、うん」と相槌を打って私が聞き役になっていたり。

例をあげるとキリがないのですが、会話が一方通行で話の内容がいつも深まらない印象が常にありました。


今回、父が庭の草を取ってる姿を見て、「老けて小さくなったなあ」と思いました。
そんな眼差しや心境の変化があってからか、父と2人で苦手な雑談をしていた時

「お父さんな、実は発達に問題がある人間かもしれんって思う」
と急に父が言い出しました。

私も父の日頃の行動に「もしかしたらなあ」と思い当たることが多々あったのですが、まさか父本人が言ってくるとは思っていなくて、ビックリしました。

「お父さん、子どもの頃、しょっちゅう学校で先生に注意されとった。
育った時代が昭和だったから、あいつは言うこと聞かないヤツ、強調性のない性格で通ってきてこれまで生きてこれたけど、お母さんや子どもには迷惑かけたと思う。」

と父が話すのを聞いて、先ず思ったのは

「自分でそう言えるようになるなんて、一体何があったんだ?」て、ことでした。

そして、私も父に対して、自分の話を聞いてくれる理想の父親を求めすぎてたのかもしれない、と気がつきました。


愛情表現が分かりづらい人だから、父からの父性が感じ取れない自分に悩んでいたし、私は父から愛されてないんだと思ったこともありました。

でも、そうじゃなかったんだ。父なりに思ってくれてたんだ。

人から理解されにくいことが多々あって、相手の人の気持ちに気づきにくいし、想像することが難しい人が父親になって、彼なりに精一杯、家族を想ってくれてたんだな。

と父のことが理解できました。

言ってやりたいことは沢山ある。でもさ、もういいや。


「お父さんな、自分のこと井の中の蛙だって思うよ」
「そうね、それもとっても狭い井戸にいるよね」
「…、うん。お父さん、器が小さいからな…」

キツいことを私も言って返してしまったけど、私からの言葉が父に届いて、父が言葉のキャッチボールを返してくれたのがすごく嬉しかったです。

父と2人きりで過ごしたことで、お互いに話そうと意識したことで、やっと、初めて言葉の会話とコミニケーションができた確信がありました。

これまで一方通行な会話のやり取りで、父と気持ちが通じ合えなくて「淋しいなあ」といつも感じていのが、「私もやっとお父さんからの気持ちがちゃんと受け止められた」と初めて娘として、とてもとても、とても嬉しかったです。



そういえば、向田邦子さんの「父の詫び状」がどんなだったかな?と思いました。

高校生の時に父親に対する自分の寂しさを埋めたくて、読んだ記憶がありますが、内容を忘れちゃって、でも、もう一度読み返したくなりました。






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