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#10分で読める小説「虚偽の共鳴」

主人公の「篠原大輝」は30代のエリート音響技師で、コンサートホールや劇場で音響演出を手掛ける仕事に従事していた。彼はその技術力で高い評価を受け、多くのアーティストや舞台演出家からの信頼も厚かった。しかし、彼にはある秘密があった。彼が誇る「完璧な音響」とは、すべて綿密に計算された「偽りの響き」だったのだ。

その音響技術には、観客の感情や反応を操作する力があった。篠原は、音の波長や周波数を巧みに使い、観客の心を揺さぶることに長けていた。まるで魔法のように感情を高ぶらせ、涙を誘い、感動を作り出す音響効果は、篠原自身の本来の技術ではなく、特殊な音響システムによるものだった。このシステムは、音を調整するだけでなく、観客の心拍数や体温、さらには脳波までも感知し、それに合わせて音響を調整することができる。

篠原がその技術に手を染めたのは、かつての失敗がきっかけだった。若手時代、ある有名なオペラ歌手のコンサートで致命的なミスを犯し、彼の評価は地に落ちた。その時、音響の本質に取り憑かれた篠原は、観客を完全に支配できる音響技術を作り出すことを決意したのだ。

篠原はその技術を使い続け、次々と成功を手に入れていく。しかし、彼は次第にその力に取り憑かれ、真の音楽や演出に対する情熱を失っていた。「観客は偽りの感動に満足している。それで何が悪い?」そう自問しながらも、心の奥底では罪悪感と虚しさが募っていった。

そんな中、篠原はある日、謎の依頼を受ける。彼が担当することになったのは、かつてのライバルであり、現在トップ音響技師として名を馳せる「山本亮介」が手がけるプロジェクトだった。山本は、音響技術において篠原とは真逆の姿勢を持ち、純粋な音楽の力を信じていた。篠原は一瞬躊躇するが、結局引き受けることにする。

山本との共同作業が始まり、篠原は次第に山本の信念に触れ、音楽本来の力に再び魅了されていく。篠原は自分の技術が「偽り」であることを隠しつつ、山本の理想に共鳴し始める。しかし、プロジェクトが進む中で、山本が篠原の技術の裏にある「真実」に気づき始める。

クライマックスで行われる公演当日、篠原はシステムの使用を躊躇する。目の前には、自分が尊敬し、かつて失った情熱を再び取り戻させてくれた山本の姿がある。しかし、篠原の不安をよそに、劇場は観客で埋め尽くされ、期待は高まっていた。篠原は最後の瞬間にシステムを作動させることを決意するが、そこで予期せぬ事態が起こる。

公演中にシステムが異常をきたし、音響が乱れ始めたのだ。観客の反応が不自然に歪み、感動どころか不安と混乱が会場を支配する。篠原はシステムを修正しようとするが、その時、山本が篠原に静かに告げた。「君は、音の力を誤解している。僕たちは、音楽を作り出すのではなく、その本質を伝える存在だ」

その瞬間、篠原は自分が長年追い求めてきたものが、実は「偽りの共鳴」であったことを悟る。システムを通じて作り出していた感情は、真の感動ではなく、ただの操作に過ぎなかったのだ。公演は大失敗に終わり、篠原のキャリアは崩壊するかに思われた。しかし、その後、彼は自らの技術を全て捨て、純粋な音響技術に回帰する決意をする。

最後のシーンでは、篠原が静かな田舎の小さな劇場で、一人の無名な歌手のために音響を整えている。そこには派手な技術もなく、ただ歌声とその響きが純粋に伝わる空間が広がっていた。「本当の音楽は、操作されない。人の心に自然に響くものなんだ」と、篠原は静かに微笑む。そして、そこにいる聴衆の瞳に浮かぶ涙は、初めて篠原が目にした「真の感動」だった。

この時、篠原はようやく、自分の中にあった空虚さが満たされていくのを感じる。音響の魔術師として名を馳せた彼は、最終的に「音」そのものの力を再発見し、偽りの共鳴から解放されるのだった。


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