マルキ・ド・サド「美徳の不幸」澁澤龍彦訳 ➁

前回は美徳の不幸の悪人に着目したが、今回は善人である、主人公ジュスチーヌに着目してみよう。

二言目には「神がそんな事を許しません!」とか「必ず天の裁きが下ります!」とか「ああ、そんな恐ろしい事を!」とか言う女の子だが、案外狡猾で恩着せがましいところもある。

不幸な生い立ちである事は確かなのだが、行く先々で他人を信用しては、自分の身の上話をして、同情を誘い、助けてもらおうとする。何十回同じ失敗をしても、この行動パターンを少しも変えない。間違いなく善人なのだが、金を得て生きる為には一応悪人に協力したり、嘘をついたりと図太い一面もある。

明晰な頭脳も持っているので「信仰」と「事実」は分けて考えているのが分かる部分が散見出来る。

「あなたはそんな事を言って不幸な女から、彼女の唯一の慰めである信仰すら奪って絶望させようというのですか?」

そんな彼女の思想も終盤にはボロボロになり、等々弱音を漏らす様になる

「神よ、この様な目にあっても私はあなたの正義を疑う事が出来ないのでしょうか。もし私が迫害者の例にならって、悪徳にこびれば、この上どんな恐ろしい災難に合うのでしょうか?」

そこで物語は急展開を見せる。以下はネタバレを含むがどうしても書きたい






主人公は生き別れになっていた姉と再会(姉はセックスで成り上がった悪人だが、妹は好きだった様だ)

主人公は何不自由無い生活を送れるようになったが、落雷に打たれて死ぬ。落雷に打たれて死ぬ(大事な事なので二回言った)

失笑を禁じ得ないラストだ。というか私は思わず笑ってしまった。






サド侯爵はフランス革命期の人で頭の中でも革命が起きた様だ。レイプしたり、拷問したりして殆どの半生を刑務所で過ごし、精神病院で死んでいる。この異常に両極端な善悪の概念が、一個人の筆から生み出されたと考えると恐ろしい。登場人物達はサドの心象風景を現しているとみて間違いないだろう。

だが、悪人側の理論はしっかりしていて、サド侯爵は自らの美徳を破壊し、悪人側に偏る為にこの物語を書いたのでは?と私は直観的に思った。

しかしラストを見るとそうではない様なのだ――


姉は妹の死を目の当たりにして自身の人生を悔悟し、そこに何らかの宗教的意識に目覚めて改心する。

最後には作者の言葉(サド侯爵)で「真の幸福は美徳の内にしかない。また神が地上で迫害される者を黙認しているのは、やがてもっとも甘美なる報いを天国において調えんがためである」なんて書いてある。

ここに来て私はサド侯爵が分からなくなってしまった。だが緻密な論理を持ちながら、魂は非論理的なものを信仰する、という事は可能なのだろう。

それほどに当時の宗教的価値観は強いものだったのが分かるが、ひねくれてる私は、訳した澁澤龍彦が嘘を書いてる、なんて思ってしまう。或いはサド侯爵が余程倒錯していると見る事も出来る。


総評すると美徳の不幸は善悪とは何か?という哲学的な主題を異なる視点から見れる良書であるが、対象年齢は14歳と言うところか――書いてる宗教的価値観が日本人の価値観と合わず、悪人の論理も現代では当たり前の事を言い過ぎているのである。

正義は必ず勝つ訳では無い事は、ませた小学生でもわかる事なので、アンパンマンが負けてびっくりすつ位、純粋な人は一度手に取る事を勧める(手に取っても特に何も得しないと思うが)カバオ君が卒倒する様な事が連続して書かれている。

あなたが善に属しているとジュスティーヌと一緒に「ああ!なんて恐ろしい事を!」と叫ぶだろう。

あなたが悪なら「このバカ女め!」と思うかもしれない。どちらにも属していないかもしれないし、訳がわからなくなるかもしれない。


読んだ時の状態によって読み方が変わる。こういうのを文学と言うのだろうか?現在中二病の方には推奨出来る本である。

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