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横瀬夜雨『筑波ねのほとり』

横瀬夜雨『筑波ねのほとり』を読んだ。
1926(大正15年)6月発行というから、100年近く前の作品ということになる。

筑波山。小貝川。
横瀬の父祖の時代のこと。横瀬自身の幼少期のこと。

当時はどのようなものであったかと想像を巡らせる必要もないほど、僕にさえどこか懐かしく、優しく、横瀬が目にしたであろう情景、横瀬がいたであろう情景が浮かんでくる。

「我が此川を見た最初の記憶は、きみが背中に負ぶさつて野桑を摘みに來た時、ほらこれ大川だよと指さして教へられた。小さな渦が黄いろぽい泡を載せた儘すいすいと流れてゐた。」

「芒は今も生えている。探せば木瓜の花もあらう。我は足萎へて二十二年、夢でなくては堤に遊ぶおもひ出も見ぬ。」

「私は三度まで足が起たなくなつて、三度目に起たなくなつた足が今は恢復の望みもなくなってゐる。起たなくなつては立ち、立たなくなつては起ちしたひまひまに、尋常小學四年の課程も踏んだ。大寶沼の水にも親しんだ。」

「私が歩けなくなった頃、この沼も亡びた。私の詩も亡びるであろう。」

幼い頃くる病に冒されて歩行の自由を失い、生涯苦しんだとのこと。100年前のこと。様々な理不尽を抱えて生きるしかなかったのだろう。

変わりゆく風景。変わりゆく身体。自分の詩の行方。河岸に佇む横瀬の姿が目に浮かぶ。

数年前、両親が小貝川沿いに転居した。時折散策するという。僕も何度か訪れたことはある。今度は横瀬のことを想いながら歩いてみたい。




https://www.bunkajoho.pref.ibaraki.jp/wp-content/uploads/2018/10/senjin42.pdf




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