空の境界 第4章 「伽藍の堂」 感想(ネタバレ有)
原作未読。
両儀式が、直死の魔眼に目覚める物語。
喪うことと、そこから始まること。
本章からはそれが主題であるように感じた。
織を喪った式は、その喪失感に苦しむ。
死にたくはない。でも生きるのも辛い。
橙子の言葉を借りるなら、生と死の境界の上で綱渡りをしている状態だった。
生の実感が希薄であるという点では、巫条霧絵や浅上藤乃と同じ精神状態だったといえる。
しかし橙子は言う。
人は他人との関係性の中に自己の同一性を見出す。
自分が拠り所にしていた相手を喪うことは、自分自身の一部を喪うことと同義である。
それでも、前に進むためには虚無を満たさなければならない。
決してそれは喪った相手を無になすことではない。
伽藍となったこの胸を、その人がくれた篝火が照らしてくれるからだ。
こうやって考察してみると、青崎橙子という人間はそのドライな印象とは裏腹に情熱的な性格を持っているのがわかる。
第1章での自殺に対する態度や今回の喪失への考え方から、生に対してとてもポジティブな思想を一貫して持っている。
彼女が魅力的な人物であるのも、そういう複雑でわかりにくい性格だからなのかもしれない。
好きな演出、効果、セリフがいっぱい
一人称で異形が視える演出
式が初めて直死の魔眼に目覚めた時の医者や看護婦の「綻び」を一人称で描写した時の演出がとてもよかった。
「綻び」から細切れになるように視えるのだが、それは魔眼を持つ式にしかわからない。
異形の世界の式と、和やかな世界の他者。
似たような設定としては「沙耶の唄」が思いつくが、そのアンバランスさが生むギャップは物語的にも、映像の演出としても刺激的なものになるだろう。
嗚咽がこもる効果
劇中何度か式が嗚咽するシーンがある。
式の他の声と比較してこもっているのだ。
初めて見た効果なのだが、暗い伽藍に閉じ込められている式の孤独感を現している感じがして非常によかった。
セリフが人物に魂を吹き込む
終盤の幹也のセリフ。
式が幹也を知ってくれていたことに彼の心配が晴れる幸福なシーンなのだが、直接的な喜びの言葉を使わずに見出しのセリフを言わせるのがとても良い。
幹也ならこう言うだろうな、のど真ん中だ。
こういうセリフから、ああ、この人は本当に生きているんだと思うんだろうな。
そしてそれを受けての式の独白もすごく良い。
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