空の境界 第3章 「痛覚残留」 感想(ネタバレ有)

原作未読。
生の実感というテーマが強く印象に残った。
殺人衝動というのも結局のところその範疇の中にあるのかなと。

どれだけ精神が発達しても、肉体の感覚が生の実感というものからは切っても切れない関係にある。
第1章の巫条霧絵は病室で過ごす永遠のような時間に絶望を抱いた。
浅上藤乃は無痛症という状態に対して、常に閉塞感や孤独感を抱いていたのだろう。

しかし痛みが蘇った。
悲しいかな、それは陵辱される苦痛の中でだった。
そして浅上藤乃は苦痛を与えた者たちを殺害する。

村上龍の作品で「愛と幻想のファシズム」という作品の中にある、猟師の話を思い出した。
熊に襲われて顔を破壊された猟師は発狂してしまう。
敗北した劣等感や恥の極地によって精神を破壊されてしまう。
そうなる前に、その傷を負わせた熊を殺さなくてはならない、という話だ。

父親に追われ、下劣な者に傷つけられる浅上藤乃。
それでも最後は救いのある終わり方で、ほっと胸を撫で下ろす。
空の境界って途中までは結構辛いシーンが多いのだけれど、なんだかんだで最後には救われるので安心できる。

しっとりとした空気感が良い

雨の表現が素晴らしい。
画面の外にも雨が降っている気がするし、ひんやりとした水滴を感じる。

黒桐幹也と両儀式の掛け合いもその空気感を醸し出していてなんか良い
この感覚を言語化するのが難しいし、彼らの言っていることもほとんど理解できていないと思う。
でも、それがいい。
何回見返しても、意味が分からないのが良い。
でも、それがいい。
なんだか二人のやりとりを見ていて(当たり前だけれど)、ああ変わらないんだなあという気持ちになる。

「凶れ」

緑と赤の螺旋が美しい。
幼少の頃から超能力が発言していたというのはなんだか「リング」の貞子を彷彿とさせる。

主題歌のKalafina 「傷跡」がめちゃくちゃ良い

Kalafinaの主題歌がやっぱりすごく良い。
高校生の頃から今まで擦り切れるほど聞いてきた。
でもやっぱり改めて映画のエンディングとして聴くと浅上藤乃の心情をより想像できて感情に訴えてくる。

冷たい肌の上にやっと灯した花びら

Kalafina 「傷跡」 作詞・作曲 梶浦由記

冷たい肌 = 無痛症、つまり感覚のない肌に、
やっと灯した花びら = やっと傷、つまり痛みを感じることができた。
というのが私の解釈なんだけれど、表現が本当に美しい。
無痛症を冷たい肌、傷を花びらなんて比喩をこんなに綺麗に並べられる人は梶浦さん以外にいるのか?と。

ねえ、生きていると 分かるほど抱きしめて

Kalafina 「傷跡」 作詞・作曲 梶浦由記

浅上藤乃の悲痛なまでの心の叫びが苦しいほど伝わってくる一文。
無痛症で生きている感覚のない彼女。
ただただ、どれだけ抱きしめられても感覚はない。
それでも、たとえ肉体的に感覚がなくても、精神的には生きている感覚を得ることができるから。
幼少の頃、母に抱きしめられて泣いた時のように。
黒桐幹也に背負ってもらった時のように。

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