車には辿り着けない場所だけど
友だちと友だちでい続けるためにはどうすればよいのか? というのは近年の関心ごとで、そのためにさまざまな策を講じている。
とは言っても具体的にはほんとうに地道で、旅行先で思い出したらご飯に誘ってみるとかそういった小さなうごきなのだけど、とにかく自分の中では切実なテーマなのだ。
85歳になったとき、みんなはどうしているのだろう。働き始めてから疎遠になっていく友だちを思ったり、結婚などの儀式を経て変わってしまってゆく友だちを思ったりする。
だって、あんなに仲の良かった友だちがいなくなってしまったらさみしいではないか。高校生くらいまでに仲良くしていた友だちのほとんどとは、七年ぽっちで疎遠になった。海にも湖にも負けないさみしさは、老いていくごとに勢いが増してくる。
篠原さんは友だちである。東京に一年くらい住んでいた時期があり、そのあいだに仲良くなった。もともとインターネットでやり取りはしていたのだけど、東京に行ってからより仲良くなったと思う。
彼とふたりでぽつぽつと作り始めたのが『銃と桃売場』という合作の本で、二〇二三年の春が過ぎた頃に出した。壁と向かい合った文学フリマの席ではじめて売ったこの本には、ふたりの短歌が140首入っている。
「BF」という一連には、篠原さんの身体のなかにあることが書かれている。最近はずいぶんと忘れっぽくなってしまい、いまよりも昔の出来事は夢のようだ。ほとんどが朧げになっていって本当にあったかどうかはもうわからない。
<やたらとみんな成功について話してる(話しすぎている)濁りつつ>という短歌もこの本には入っているけれど、成功の歌は今の身体の中、というか東京の生活の中にある感じ。直近で思っている感じ。ポケモンの歌は思い出しながら書いている。並べてみると、過去の風景がどんどん夢になっていく気がする。
この「裁縫」と「車」。
心中に生まれてくる大人が象徴されているようにみえて、この二首を眺めた。ポケモンでは成り立たせられない大人になってからの生活があって、けれども、車には辿り着けない場所にはオルゴールで一周できる。それは救いのようにも聴こえるし、そもそも僕はポケモンをしていたいのにとも思う。
「BF」という篠原さんの作品を読んで、僕はまだずっとみんなと友だちでいたいと思った。どうして私たちは離れ離れになるのだろう。この連作は友達のことについて書かれていて、わたしにもこういう人がいてくれた気がして、声が思い出せるような、もう思い出せないような、遠い場所にいる。
読んでくださってありがとうございます! 短歌読んでみてください