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短歌における「一字空け」のはなし【ときどき短歌】

ときどき 短歌

「ときどき短歌」は半年間くらい、現代短歌のことについて、週一くらいでつらつらと更新するマガジンです。ぜんぶ無料です。短歌に出逢ったことのないあなたが、ちょっとでも面白いと思える記事をかけたら良いな。


■ 「一字空け」には意味があるよ

短歌には一字空けという技法があります。詩の最中に全角スペースをひとつ挟む技です。

大雑把に、よく使われる2つのパターンを挙げるなら、以下。

・文字のデザイン的な配慮(読みやすさ)
・風景や感情の移動

上記のような場合で一字空けは用いられます。

例えば。

生活は言葉ではない散文詩 生けられている青の歯ぶらし/武田ひか

上記の作品でいう「散文詩」と「生けられて〜」の間のスペース、それが一字空け。文字通り一字分空いています。

文字のデザインの関係、つまり漢字が続く読みにくさの解消を図るために置いた空間です。

それに加えて、上句は「観念」を詠っているのに対して、下句では「風景」を詠みこんでいるので、スペースを置くのが妥当だと考え、間隔を置きました。


ここで短歌を作り始めたばかりの人へのアドバイス。作品を5・7・5・7・7の枠に合わせて、スペースで区切る必要はありませんよ〜。短歌は5・7・5・7・7の枠があり、読者に区切りを意識させる機能があります。普通の文章で読点を打ったり、改行したくなるところでもそのまま続けちゃって大丈夫です!

以下のように全部区切ってしまうと…。なんだろう。こう、めちゃめちゃ端的に言えば、うまく味わえないんです。

生活は 言葉ではない 散文詩 生けられている 青の歯ぶらし

スペースに意味が込められることを知っていると、そこに意識が分散してしまうからでしょう。短歌を読み慣れた人ほど、いくら内容が良かったとしても作品から離脱してしまいます。もったいないですよね。

これは、多くの初心者がやってしまいます。短歌を作り始めた頃のあるある。僕も初めたてのころは、とんでもない頻度でスペースをあけてました。


※(注)文字デザインの話をしましたが、漢字が続いたりして読みにくくてもスペースを空けない人は結構います。景が変わっても空けない場合も。ほんとにこの辺の感覚は難しいんですが、一字空けの頻度には正解がないので、自分が妥当と思える場所に入れるしかないんですよね…。


■ 一字空けが効果的な作品

線香で肺を満たして満たして満たして満たして  生き返らない

作:君村類

空白をふたつ連続させた珍しい作品。一字空けというか、二字空けですね。君村さんのこの作品は、スペースが上手く効いていると思います。

・文字のデザイン的な配慮(読みやすさ)
・風景や感情の移動

上記が、一字空けされる代表的なパターンだと説明しましたが、このスペースは、息を止めている様子を表現しています。つまり、感覚で、空白そのものを読ませているということ。

葬式の場面での、「満たして満たして満たして満たして」は息を吐かずに吸い込んでいる様子。線香の表現で空気に実感を持たせつつ、悲しみに息をとめている、一瞬の時間をスペース二つ分の空白に託しているのです。すごい作品だ…!


以上、めちゃくちゃマイナーな部分への視点ですが、こんな細部まで意識されて短歌という芸術は作られています。小さな息遣いや場面の凝縮・転換に目を向けると、もっと短歌鑑賞が楽しくなるかも……しれません!


■ 次回予告

・すきな短歌を推しまくる記事を書きたい!


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