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現役下北住民が、「街の上で」を見てきました。|映画レビュー

※このエッセイは今泉力哉監督「街の上で」のネタバレなし感想ですが、前情報は一切見たくないという方はあらかじめご注意ください。


下北沢に住み始めて一年がすぎた。初めてこの街に魅入られてから早五年。大学在学中に世間の波に乗って就活をしたわたしの「就活の軸」は「下北沢に住むこと」だった。もう少しだけ噛み砕いて表現すると、「下北沢で新卒一年目から一人暮らしができる給料が出て、転勤がない仕事」だった。わたしは今、縁があって新卒就活生に向けたSEOライティングを生業としているが、自分の就活を振り返ってみても就活生としては最悪の部類だった。


やりがいとか将来性とか、大手とか、本当にどうでもよかった。ただ下北に住みたかった。それだけ。

まあこの話は別の記事でも書いているので興味のある方はぜひ。


「街の上で」の青は下北沢からほぼ出ない。そして下北沢でのオールロケが話題のこの作品は、本当にわたしの生活そのもので実際にわたしの生活圏での日常を映画にしたような物語だった

あらすじ
下北沢の古着屋で働いている荒川青。青は基本的にひとりで行動している。たまにライブを見たり、行きつけの古本屋や飲み屋に行ったり。口数が多くもなく、少なくもなく。ただ生活圏は異常に狭いし、行動範囲も下北沢を出ない。事足りてしまうから。そんな青の日常生活に、ふと訪れる「自主映画への出演依頼」という非日常、また、いざ出演することにするまでの流れと、出てみたものの、それで何か変わったのかわからない数日間、またその過程で青が出会う女性たちを描いた物語。▲出典:filmarksより


もちろん意図的に「あっ、これって自分の物語では?」と錯覚させるような物語を生み出したのは監督の力量なのはもちろんなのだけれど、それにしてもこの映画に描かれる日常はわたしの日々そのものであったことは否めない。


わたしは下北を通じて大切な人に出会ってきた。

十代の時に、当時通っていた飲み屋の常連と色恋に落ちたのが、この街にわたしがたどり着いたきっかけ。あんまり幸せとは言えない、大学生くらいの女の子にありふれた応援されない恋だったけれど、そのおかげで下北と出逢えた。

その飲み屋はわたしが人生で初めて行きつけの店と呼べる場所になった店だった。初めて入ったその日に、カウンターの隣で飲んでいたのが憧れのバンドマンだった運の良さには自分でも驚く。それになにより、尊敬する作家のよしもとばななさんが住む街でもあるから、わたしにとっては縁の深い街。時が経ち、わたしが愛した、そう、ある意味では多分初めて本気の恋を知った相手は下北を出て行った。思い出とわたしだけが下北に残った。そうしてまた誰かと恋をしたり、恋をされたり、友達と笑ったり、下北のあちこちにはわたしの亡霊が眠っている。透明の面影は歳を重ねながら、少しずつ今のわたしへと存在を変えていった。


「下北の何がそんなに好きなの?」

これは今でもよく聞かれる質問ではあるが、強いていうなら「なんでも許されるような気がするところ」が好きだ。治安が悪いとか、そう意味じゃなくて「人を傷つけなければ何でもOKだし、誰でもウェルカム」みたいな空気感。自分が本当に好みの服を着て出かけたり、なにか失敗をしても、良い意味で誰も見ていない、お互いに好きにしようぜ、みたいなおっきい愛を感じる。

今は緊急事態宣言でチェーンの飲み屋はだいぶ閉まってしまったけれど、それでも実はひっそりと店は空いているし、特に誰にも迷惑をかけず佇んでいる感じがに胸がキュッとなる。もちろんカルチャーの街として観光に来る人も多いけれど、実はとっても住みやすい。ほんとうに。そういう下北に根を張る人の視線が、青の生活にあふれていて心が温かくなった


駅前の階段に座って酒を飲む若者たちは一見「はしたない」と大人に怒られそうにも見える。ところがこの街では経営者も学生も関係なく、ワンカン(飲み屋に行く時間もお金もないときに、ビールや酎ハイを仕事仲間と1缶だけ飲み、その日の出来事などについて話すというもの)がもはや下北駅前の文化。駅前で飲んでいると知らない人も混ざってくる。名前も生い立ちも知らないその人とわたしの仲間とその日あったことをぽつぽつと話して帰る、そういう日もしばしば。だから一人暮らしなのに、全然一人の感じがしない。やっぱり、街と生きている。


それに下北はすごく狭い街だから、映画の、多分いちばんお客さんがどっと笑うあの場面みたいなことも起こったりする。もちろん現実はあのシーンほどしっかりとオチがついていないかもだけど。呼吸をする、小さな村みたいだ、と時々思う。


多分このまま下北に残って、たくさんの人を下北から送り出して、わたしは下北で死ぬんだろうな。そしてそれは冗談でも何でもなく、予感に近いわたしの直感だったりする。



この言葉には、続きがある。「映画のようなとかドラマチックなどと形容されるそんな日々はすでにそれぞれのもとに確かにあって、ただ、その側にカメラがないだけで、それぞれが映画のように生きていくのだ。今泉映画にはそういった取りこぼすことの方が簡単な何も生産性のない瞬間にこそ光が当たっている」とマヒトゥ・ザ・ピーポーは語る。作品中でもアーティストとして登場する彼であるが、本を出版している実力も納得の言葉選びに心が震えた。下北沢という街とこのカメラがない日常にスポットライトを当てた「街の上で」は非常に親和性が高い。夢の卵と墓場が同時に存在しあう街。いつ帰ってきても、大袈裟じゃない、そっけないくらいの愛を感じられるこの温度が、心地良い。


大人になってから、わたしはこの街で親友ができた。誰かの友達とか、SNSが繋がっていたとか、属しているコミュニティが被っていたわけでもない。「下北沢に住む同い年」というだけで繋がった、まっさらな友達。しかも、お互いに仕事をしながら週の半分は一緒に過ごすという小学生みたいな遊び方をかれこれ半年以上続けている。異性だったら間違いなく泥沼の恋に落ちていたとお互いに認識している仲の良さであるが、わたしと彼女の関係は青と映画監督の町子の出逢いさながらの突然さで始まった。それでもなぜか、違和感がなくてずっとそうであったかのような不思議な懐かしさを感じるのは、彼女との相性と「下北ならこういうこともあるよな」というすでに完成された下北へのある種の諦念があったからだと思う。何でもあり得る街だし、そういう街の中で生きているんだから流された方が楽しいよね、みたいな。別の言葉に言い換えるならば、下北への絶対的な信頼。この町で起こったことなら大丈夫、きっといい方向へ行く、そんな明るい予感。

いつもありがとう下北、そして下北のみなさん。あとは、この絶妙で見えない糸を、すごく的確に一番良い形で作品にしてくださった今泉監督と役者さんにも感謝。


「街の上で」、まだ観ていない方はGWにぜひ。





p.s みなさん、特に男性陣はイハちゃんがお好きなようですが、個人的にはビビビの田辺ちゃんが好きです。ちょっと不幸な感じが堪らない。



2021.04.29

すなくじら


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