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「エッセイを書く」という夢を失って、また書きたいと思えるようになるまで

小さい頃から家の本棚にはちびまる子ちゃん全巻と、さくらももこさんのエッセイが揃っていた。

母が集めたそれらの本を読んで育った私は、日常を切り取ってコンテンツにするということにすっかり魅了されて「いつか私もエッセイ本を出したい!」という夢を抱くようになった。

「どんなことを書こう」
「特別大きなことをしなくてもいいから、へ〜こんな人生もあるんだってどこかの誰かに思ってもらえるような生き方ができたらいいな」
そんなことを考えながら中学生になった。

中学に入った2003年頃は、ブログや個人サイトが大流行していた。

そこには役に立つハウツー記事よりも、誰かの悩みや楽しかったこと、恋愛、今日のコーディネートなどがごちゃまぜになった日記があふれていた。
美大生、大阪の男子高校生、OL・・・オフラインで出会えない人たちの日常や考えを覗き見るのは楽しい。気になる人のブログを片っ端からお気に入り登録して、誰かが更新するのを毎日楽しみに待っていた。

当然、私も書いた。ヤプログでブログを作って、友達と初めてスタバに行ったことや国際通りで憧れの先輩とデートしたことなんかを赤裸々に書き綴った。

高校生になってヤプログがデコログに変わり、アメブロに移転したりしつつも自分の体験や考えを好きなようにインターネットで発信し続けた。

↑ 大学の頃、たしか「1番大事にしているもの」というテーマで撮った写真

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時が経って、社会人になった。

いつのまにかブログは「◯◯をするための3つの方法」みたいな、ためになることを書かなきゃいけない空気になっていた。

夢を語ったら「意識高い」って笑われる。知識不足や経験不足を指摘される。そんな中で社会人歴の浅い自分に、いったい何が書けるって言うんだろう?

仕事でハウツー記事やインタビュー記事を作成する機会は何度かあったけど、書けば書くほど「仕事として文章を書くこと」が致命的に苦手だと気づいた。
正解を探して、当たり障りのない無難な文章をめちゃくちゃ時間をかけて仕上げる。おかげで誰にも何も指摘されなかったし、ほとんど誰にも読まれなかった。

そんな風にしてたら「文章を書きたい」という欲求がどんどんなくなり、5年もの月日が流れた。

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流行りにのってポツリとTwitterでつぶやいてみる。けど、やっぱり自分の考えを発信するのは怖くて何を書いたらいいか全くわからない。

noteを立ち上げる。
「今後のテーマはわからないけど、とにかく最初は自己紹介を書けばいいんだ」
そう決めて文字を打ち出すと、スルスルと言葉が紡ぎ出された。あ、この感覚。

初めてのnoteは、何文字がちょうどいいのか全然わからなくて無理やりコンパクトにおさめたら、職務経歴書みたいな固い文章に仕上がった。

だけどそれよりも何よりも、自分の言葉で記事を書いて公開できたことがとてもとても嬉しかった。
1つ書くと、また書きたくなる。今度は何を書こう?メモ帳にネタを書き出してワクワクする。

・・・ふと、大学時代ブログを読んだ親友に「すなえりって本当に目の前で話してるみたいな文章を書くよね」って言われことを思い出した。

たくさんの人に読まれなくてもいい。カッコよくなくてもいい。漫画を描いてクラスのみんなに見せるような、「早く続きが読みたい!」って言われるような、そんな文章を書けるようになりたい。

時間がかかってしまったけど、文章を書くのが好きだったことを思い出せて本当によかった。


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TOP画像は中学生の頃から大好きだった素材サイトふわふわ。りさんからお借りしました。

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