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積んだり崩したり

2019年、下の子が幼稚園に入った私に、久しぶりの自由時間というものが手に入った。

とはいえ保育時間は短い。保育時間が短い上に、基本弁当持参を要求される。保護者の関与を重要視する校風で、共働きのママは少ない。延長保育には容赦無く追徴金を課し、給食がないことで、近隣の2歳児ママたち(幼稚園選び中)から敬遠されていることで名高い幼稚園だ。そのため、私が得た自由時間は長くて4時間、水曜日は2時間くらい。キラキラした無形の宝物だ。

欲しかったものがついに手に入った。きちんと計算して寄り道なく行き帰りすれば、今まで見に行くことができなかった映画や美術館に行けるようになったのだ。

単身で行動するなんて夢みたいだ。エレベーターを探して駅構内を遠回りすることなく、階段を登ることだってできる。自分の財布と携帯さえ持って入ればいい。ゆるい服で大荷物を持った、とにかくモタモタしている子持ち女としてではなく、身軽で身綺麗な風をきって歩く普通の人として街に出られるのだ。車でいうところの車幅感覚、私はヒトだから身幅感覚が、私だけのサイズになった。久しぶりすぎて、何から始めればいいか分からなかったほどだ。

それまでは、見に行きたくなる気持ちの芽が出ないように、情報を見ないようにしていた。しかしTwitterの映画情報や美術館情報が転がっているようなアカウントをフォローするようになって、情報が雪崩のように入って来るようになった。

情報は目の前をどんどん通り過ぎて行くので、行きたいところや欲しいモノ、読みたい本など見つけたら、ブックマークもするが、即スクショする。カメラロールに欲望の種が溜まっていく。

不思議なことに、入館料などかかる費用が¥2,000以下だと、めちゃくちゃお手軽で行けそうな気がする。¥3,000だと贅沢だと思って諦める。そう思ってそれなりに欲望を選別しながら集めても、あっという間に¥10,000を超える。たった5件で超えるのだから当たり前だ。¥10,000は高い。夫からもらうお小遣いをやりくりして娯楽を得る専業主婦の私にとって、¥10,000は高い。

そう思って、在宅で文章を書く仕事を始めた。¥1,000以下の案件から、¥2,000くらいの案件まで、一生懸命見つけて一生懸命取り組むと、翌月の行動資金になった。

しかし、一生懸命見つけることと、一生懸命作文することに夢中になると、外出できなくなる。週に2回くらい大きなスーパーで買い出しもしなくちゃいけないし、小学校や幼稚園の行事が立て込む時期もある。稼ぐ額は超少額のくせに、フリーランスで働く人はバランス取るのが大変だなぁなんて思ったりした。


それなりに上手く回せるようになって、翻訳の仕事にも手を出し始めた頃、私を含めた家族がきつめの喘息になったり、幼稚園行事が立て込んだことで、仕事を引き受けないことになった。そのままコロナの外出自粛期間が始まって、2020年は全く書き物の仕事ができなくなった。

私が仕事をもらっていたクラウドソーシングサイトは、自粛期間に求職者が殺到したらしい。みんな家でこっそり副業をしたくなったのだろう。

しかも同じようなクラウドソーシングサイトL社が、一時期政府をほめちぎるようなコメントをSNSに投稿する仕事を募集したのが明るみに出た。L社の仕事のイメージは急落し、有象無象のライターたちが拠点を変える事になった。

おそらく分母が増えたせいだと思う。最近も書き物の仕事をしたくてエントリーしているのだけど、全く採用されない。今までは5件エントリーしたら4件は採用されたのに、ぱったり採用されなくなってしまった。


書き物があてにならないので、私は完全に自由になった4時間を、翻訳の勉強に当てようと思いついた。一生懸命夫に説明して、給付金の一部をもらい、会員制のサイトに登録した。

それから色々調べたのだが、独学でフリーランスで翻訳の仕事を始める勢に対して、翻訳学校卒業者勢や翻訳会社出身者勢の眼差しは冷たく厳しい。全然仲間じゃないし、翻訳者のクオリティを下げて市場価値を下げるから、そういう野良は翻訳者を名乗らないでくれという排他的な意識が高いのだ。「実績がなくてもこれから頑張れば全然いいと思います、私はまぁTOEIC980ですが」みたいな、優しい顔で迎えるふりして、仲間とみなすために必要なボーダーはキッチリちらつかせる人が多い事多い事。

だからこのまま野良翻訳者経由でなんとかしようという考えを改めて、翻訳学校の通信講座を受講したいと思うようになった。そのためには受講資金が必要だ。先々かかる子どもたちの学費を稼いでいる夫に、今更自分にかかる学費を求めることはできない。自分でそれを稼ぐのに、やっぱりちまちまと書き物の仕事を探して積み重ねないといけない。

勉強したり、仕事を探して文章を書いたり。何度も言うが、私には4時間ないし2時間しかない。その時一番優先する事項をよくよく見極めないといけない。

一方で、いったん情報の窓口を開けてしまった都合、見たい映画や美術展の情報は途切れる事なく入って来る。加えて、自粛期間を経た事で、お笑いライブは劇場だけでなくウェブ配信を並行するのが当たり前になった。その情報も入って来るようになり、私に芽生えた欲望の芽はすっかり伸びて、フワッフワの草原になっている。ウフフ、アハハ♪全ての資金をぶっ込めば、それはそれは楽しい思いをすることができるだろう。

ヲタ活で知り合ったお友だちが興行を楽しみにするツイートをし、グッズを買い込む様子は、私にとってさながら水と栄養だ。楽しい気持ちを増幅させる。急にサヨナラなんて言えない。天使と悪魔は毎日頭の中に現れる。「今月は楽しいことをする月にしたらどう?」「いや、今月こそが大事なんだよ!」


果たして私は道を進んでいるのか、その場足踏みしているだけなのだろうか。真面目に積み上げていけばきっと実現できるから頑張ろうと思うけど、楽しい事だってしないと気持ちが苦しくなってしまう。やっぱりエンタメに対する気持ちの芽が出ないように、情報をシャットダウンするべきなのだろうか。

ちゃんと理詰めで考えたら、書き物や翻訳の役に立つ出費かどうかを基準に判断すべきなんだろう。うん、きっとそうだ。そんな風に思える賢者の日もたまに来る。

そんな風にストイックに行動した日々には覚えがある。つい最近まで苦しんでいた、あの育児しかしていなかった頃だ。突き詰めたら、ストイックに暮らしていたあの頃のように、頭がおかしくなる寸前にならないだろうか。いや、なるに決まっている。

…毎日こんな風にモヤモヤして、その時気が向いたものだけ触って、頑張った気になっている。ちょっとやっただけなのにすぐに休憩して、遠くに光るチカチカした憧れの光だけ眺めて過ごしている。フワッフワの草原で、私はただ怠惰に寝転んでいる。

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