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人は分かり合えるのか、という命題に10年以上向き合い続けて思うこと

自分は、無理やりでも約束を守り続けないと、
惰性に流されて継続できないダメ人間なんだ、
という思い込みを解除してみて、
自分を信頼してみたら、

出来損ないの記事を2つ苦しみながらひり出すよりは、
そこそこの記事を2日で一本書くほうが、絶対良くない?
という、結構当然のオチに帰結し、
昨日は久しぶりに解放された早寝を満喫しました。

さて、冒頭の、やたら大きなテーマ「人は分かり合えるのか」
なのですが、
どうやら私は、このテーマに、奇妙なほどのこだわりを持っているらしい、
ということに、数年前からじわじわと気づき始めていて、
一体、このこだわりは何なんだろう、と、
改めて最近考えてみています。

「どんな人とも、とことん話せば分かり合える」と、信じていた。

信じていた。
昔は、何の疑問もなく、信じていました。
今は、過去形なんです。
信じたい。に、揺らいでいる。
でも、やっぱり諦めきれず、信じたいのです。

学校の先生からも、親からも、
「話し合いは大切」
と、何度も何度も教えてもらって、
揉め事があったら話し合い。
悪いことをしたら話し合い。
納得いかなかったら話し合い。
まぁ、何は無くともとりあえず話し合い。
っていう文化の中で育ってきたので、

話し合いをしないで喧嘩をするのはおバカさんで、
話し合いは最強最終の奥義、みたいに感じていました。

世界平和についても、
「話し合えば解決するのに、なぜしないで戦争するのだろう」
と、割と本気で不思議に思っていましたし、

分かり合えない、と感じるのは、話し合いが足りないからで、
話し合いが決裂するのは、話し合いのクオリティーが低いからで、
コミュニケーションスキルと時間さえあれば、
話し合いに不可能はない。と、思っていました。

そして、
今でも、本当はそれを信じたいし、
それを立証したくて、
コミュニケーションとカウンセリングを学び続けています。

人類は、分かり合える。
分かり合えない人なんて、存在しないんだ。

という、綺麗事を、実現したい。
諦めたくない。信じたい。

そこに、なぜか、切なく狂おしいほどの、
こだわりがあるのです。

学べば学ぶほどに、違いが見えてくる。

人はなぜ、すれ違うのか。
人はなぜ、摩擦を起こすのか。

そこに向かって突き詰めてゆくと、
一人一人の心の動きや、感情の動き、
経験や学習に基づく後天的なルールや考え方・感じ方の癖の他に、

生来の性格や性質などの、先天的な形質、
という要素が浮かび上がってきます。

性格分析や才能診断などの、
大きなスパンで見た、人間のタイプ分けです。

それは、星占いや干支占いのように、
占いとして楽しむためだけではなく、
自分の性質や才能を理解して、自分の行動を改善していく参考にしたり、
身近な家族や同僚と、
うまくやっていくための方針を考える参考になります。

各ツールを、深く学んでゆくと、
人間心理学や統計学など、
スピリチュアルではない根拠に基づくものと、
スピリチュアルなものが、
奇妙にリンクして重なってゆきます。

人には、なぜか知らないけれど、
遺伝という一言では説明しきれない、
行動や性格、考え方や価値観のタイプ分けができる。

ということは、もう、疑いようのない事実で、
それが全てではないけれど、
それを参考にすることは、
とても、自分や相手を理解することに役に立つ、
ということを、繰り返し実感してきました。

これまで、「自分占い」や「相性占い」としてしか
興味を持っていなかったものが、
こんなにも、具体的で実際的なものなのだ、
と知って、大げさではなく、私は人生観が大きく変わりました。

それは、冒頭の
「人は皆、同じ。だから、時間をかけたら分かり合える」
という、幼い頃からの信念を崩されるところから始まりました。

「人は、皆、違う。根本的に考え方も感じ方も違う人もいる。」
それは、衝撃で驚きでした。
違う、ということは悲しいことだったけれど、
それは同時に、
「自分とタイプが似ている人とは、とても深く分かり合える。」
という喜びの体験とセットでした。

そして、これまで、理解できなくて自分を責めてしまったり、
相手を責めてしまっていたことが、
「相手と自分はここが違うからだ」
ということが明確になったことは、
「自分も相手も、悪くなかったんだ!」
という、強烈な赦しの体験でした。

「そうか、そういう風に感じたり、考えたりする人もいるんだ!」
という、
これまで自分の人生では見えていなかった新しい世界、
他人の視点からの世界が一気に拓けた瞬間でもあって、
人間って、なんて奥が深くて面白いんだろう、
と、世界の輝きや彩りを実感する体験でもありました。

これまで、
「ウマが合わない人」と「ウマが合う人」
がいる、という事実は、実は私を苦しめていました。

分かり合えるはずなのに、相手をうまくやっていけないのは、
自分か、相手のどちらかが、努力不足で、「悪い」のだ。
という結論にたどり着いてしまったし、
「仲良くすることが良いこと」
という強迫観念は、
「分かり合えないことは悪いこと」
という概念とセットでした。

でも、
相手を理解するために、
人と人がわかり合う方法を探して学んでいるのに、
学べば学ぶほど、
「人は皆、一人一人、全く違うから、分かり合えなくて当然だ」
という思いが強くなり、
むしろ、最近は、
こんなに違う人たちが、お互いの違いに気がつかずに、
同じだと思い込んで、何百年も集団で暮らしてきたんだ、
ということに、驚愕と驚嘆を覚えるほどです。

あまりにも違いすぎて、
お互いを心から理解することは、
もしかしたら難しい。

でも、共感はできなくても、
理解することはできるはず。

と、細い糸をたどるように、
「人は分かり合える」
を、握りしめているんです。

本当は、そんなに難しいことじゃないし、
そんなに思い詰めることでもないと思うんだけど、
なぜだか、私は、どうやらここに一生をかけたいみたいで。

「なぜ、うまくいかないのか」

「どうしたらうまくいくのか」
は、セットの情報であるべきで。

かき集めた膨大な情報は、
「相手を理解する」
ための参考にはとてもなるのだけど、
そこから先は、やっぱり、ケースバイケースでオンデマンド。

そこをもっと極めて行って、
私は、「それでもやっぱり、人は、分かり合えるんだ」
と、自分が納得できる答えを見つけて、感動したい。

それが、死ぬまでにやりたいことの1つだ。
って、最近思うのです。


・自分や相手のタイプを知ってみたい、という方は、
 ぜひぜひ、声をかけてください。
 喜んでお伝えします(^^)

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