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漫画"H2"は誰もが抱く平凡な苦しみを肯定してくれる

H2という漫画を知っていますか?
国民的アニメ『タッチ』を代表作にもつ天才漫画家あだち充が「タッチで出来なかったことを詰め込んだ」と話したその漫画は、私が人生で読んだ漫画の中で間違いなく1番だと言える傑作です。

天性の野球好きであり神様から圧倒的才能まで譲り受けた人ピッチャー、主人公国見比呂。同じく野球大好き少年でこちらはバッターの才能を神から譲り受けた比呂の親友、橘英雄。同じ中学だった2人は同じ高校へ進み、中学時代同様高校野球で仲良く大暴れ__の予定が、ひょんなことから違う高校へすすんでしまう。最高のチームメイトから運命のライバルへと関係性を変化させてゆく親友同士。さらにはここに、比呂の幼馴染であり英雄の彼女である雨宮ひかりと比呂に想いを寄せる古賀春華が加わり四角関係が動き出す、という最高に胸熱で天才としか言いようがないあらすじです。

またH2はあだち作品の中でも特に「うやむや」に描かれています。「うやむや」という表現があっているのか自信がないですが、ファンの中ではあまりに有名な、最終話でのひかりのセリフを見てもらうとなんとなく私が言いたいことがわかると思います。

ひかり「いつもカギを閉めてるものね。ヒデちゃんのその部分に私の居場所があるんだって。__だから、なるべくドアは開けておくようにって。」
英雄「比呂がそういったのか?」
ひかり「ううん。比呂はヒデちゃんを三振に獲っただけよ」

前後のストーリーも知らないのに急にセリフを載せられてわかるわけないだろ、思うかもしれませんが読んでいても、このひかりのセリフの意図を理解するのは難しいです。
あだち充作品の最大の特徴ともいえる、え?どういうこと?と思わすような「うやむやなセリフ」がH2にはすごく多い。とても「考えさせられる漫画」です。だからこそファンたちの間では討論が繰り広げられ、それが長く愛される理由の一つになっているのだと思います。

本ブログではその「うやむやセリフ」に隠された真意については触れません。(それに関して素晴らしいnoteを書いてる人がいます。興味があれば是非)
ここでは純粋に、わたしが深く心に残ったH2のセリフについて紹介させてください。

H2とは、いったいどんな漫画なのでしょうか。
青春スポーツ漫画?純粋でピュアな恋愛漫画?熱いヒューマンドラマ?
H2とは、生きていれば誰もが抱くような平凡な"苦しみ"にそっと寄り添ってくれる漫画です。

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他人と自分を比較して、どうしようもなく自分がちっぽけに思えて嫌になって、行き場のない悲しみを感じたことはありませんか?
私はアイドルを見ているとすごくそんな気持ちになります。

私はアイドルコンテンツが大好きで良く視聴するのですが、ライブなどに参加しその圧倒的キラキラ感を真正面に食らった時、とても泣きたい気持ちになることがあります。
それは生で彼らに会えた喜びの涙ではありません。
歳の変わらない同じ人間である彼らは既に、自らの長所を理解して目一杯生かしてこんなに多くの人々を笑顔にしているのに、それに比べて私は…。そう考え出すと自分がすごく情けない気持ちなって溢れる涙です。(相当に面倒くさい)
叶わない願望ばかり並べて人の才能と自分の無力さを比べて無性に悲しくなること、ありませんか?
たとえば就職活動の時。もっとコミュ力が高かったら、もっとハキハキしていたら、もっと論理的に話せたら、もっともっと、、。そうしたら、あの人みたいに、もっといい会社に行けたかもしれないのに。とか。

H2の主人公である国見比呂と橘英雄は、両者野球という圧倒的な才能を持っています。おまけに容姿も端麗な2人は、甲子園という舞台を経て全高校野球ファンを魅了する存在になっていきます。

それだけの才能をもらったやつには、凡人を楽しませる義務があるぞ

これは比呂のバッテリーである野田敦が、プロに行くか悩む比呂にかける言葉です。

比呂は根っからの野球好きで「国見の唯一の弱点を挙げるとしたら勝利への執着」と語られるほど、勝ち負けは二の次で大好きな野球を目一杯するだけで満足してしまう少年でした。漫画内でその描写は度々登場し「(比呂は)そんなんじゃプロに行けないな」のようなセリフも何度か出てきます。
そんな比呂の性格を1番熟知しているはずの、比呂のバッテリーであり最高の相棒である野田が「凡人を楽しませる義務がある」と言ってプロ行きを勧めるこのシーンを、名シーンと言わずになんと呼ぶのでしょう。

人はなんのために生まれてくるのでしょうか。
幾度となくこの問いについて様々な哲学者が意見を交わしています。私は哲学者でもなんでもなけれど、自分なりの、この問いの答えを持っています。
「自分に与えられた役割を全うするため」
しかもその役割に優劣はありません。
大規模だろうが小規模だろうが、どの人間も誰か他の人間の、なんかしらの役に立っています。私が嫌いなあの人も、私のことが嫌いな人も、昨日捕まっていたあの人も、全員です。

才能を持って生まれてきた人は、その才能を活かして多くの人を救ったり感動させたり奮い立たせたり、、凡人を救う役割を持って生まれてきた人です。
比呂は唯一無二の才能を持って生まれてきました。血の滲むような努力を惜しまない才能も持って生まれてきました。その才能を活かして、野球を通して、多くの人に感動を与える役割を持って生まれてきた人なのです。比呂は自分の役割を見つけることができた人です。
もしあなたが、普通に会社員をして、間接的にだけど誰かの役に立って、周囲の気の合う人々にホッとした小さな幸せを与えるという自分の役割に気づくことができたなら。それはあなたがどれだけ特出した才能がなくても、多くの人に注目されなくても、比呂と同じくらい尊くて素晴らしい人なんです。

役割が違うだけで。

H2にでてくる、比呂と英雄を取り巻く野田の言葉で言う所謂「凡人」達は、誰1人として比呂や英雄に嫉妬しているわけでなくとても穏やかです。


もちろん、他人の溢れた才能への嫉妬を活力にして努力し夢を叶える人もいます。でもそれができない、あるいはしない人だっています。それでいいのです。だって、人それぞれだから。
「才能がないなら努力すればいいじゃん」
そう簡単に言わずに、凡人に寄り添ってくれる。僕たちの役割はこれじゃなかっただけなんだよ、と優しく説いてくれる。それがH2という漫画なんです。

「人それぞれ」「役割」
この漫画はそう言ったメッセージを感じるエピソードがとても多いです。
たとえばひかりをめぐる比呂と英雄の関係。
比呂はひかりの唯一無二の幼馴染でありながらも、恋人でいる英雄の存在を常に立てています。一方で英雄も、ひかりの恋人でありながら「ひかりを元気付けるなら比呂」など恋人としての自分の役割と幼馴染としての比呂の役割を常に分けています。
しかもそれは、最後まで変わりません。
物語は、「ひかりをめぐり争う英雄と比呂」という展開へすすんでいきますが、比呂はひかりの幼馴染のまま終わります。


H2は、自分たちの力ではどうしようもできない才能や環境に苦しむこと、そしてそれを諦めることさえもそっと肯定してくれます。
そして、でもその諦めは、自分にはきっとまた違う輝ける場所や役割があるんだと前向きにさせてくれる諦めであり、悪いことではないと、そう教えてくれます。

H2はとても切ないのに、どこか気持ちを前向きにさせてくれる不思議な漫画です。とても爽やか。
嫌なことばかりで人生に疲れてしまった時、穏やかになりたい時、誰にも会いたくない時などに開いてみてください。


最後に.
H2はそれぞれの回のキーワードが漫画のタイトルになるのですが、最終巻のタイトルたちがとても素敵です。その写真を載せて締めたいと思います。

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