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日本的霊性とは何か~簡単に~

あー、どうも。夏樹です。

ほんで今日のお話。一応神秘家も名乗ってるのでそれっぽい話、少しします。

霊性とは何か。

単純に「スピリチュアル」

という言葉でいいのか、

という問題があるよな。

もともと、おれは「スピリチュアル」

という言葉は嫌いなんよ。

軽いし。

ただ普及して使い勝手がいいことと、

SEO的理由により(笑)、

何年か前から使うようになった。

でもまあやっぱ、想うところもある。

ほんでふと、そ改めて霊性とは何か。

ということを思った。

で、例によってwikiさんのチカラを借りてみた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E6%80%A7

(以下、引用)

霊性(れいせい、れいしょう[1])は、
非常にすぐれた性質や超人的な力能をもつ不思議な性質[1]、
天賦の聡明さ[2]といった意味の漢語であり、
肉体に対する霊[1][注釈 1]の意味でも用いられる。

また、英語: spirituality(スピリチュアリティ)、
ラテン語: spiritualitas の訳語でもあり[3]、
スピリチュアリティとも訳され、宗教心のあり方、
特にカトリック教会などでの敬虔や信仰などの内実
やその伝統を指す[4]。

カトリック神学用語としての霊性の起源は5世紀に遡るが[3]、
神学用語として積極的に用いられるようになったのは
20世紀初めのことである[5]。

その後、キリスト教用語の枠を越えて広く宗教用語や
一般文化用語として用いられている[3]。

ヴィヴェーカーナンダのインド的霊性や鈴木大拙の
日本的霊性・東洋的霊性と西欧的霊性とが区別
されることもある[5]。

また、ニューエイジや精神世界などと呼ばれる文化現象[6][7
]または非組織的な宗教現象[注釈 2]に対して
霊性の語が適用されることもある。

1990年代以降はスピリチュアリティと
カタカナ表記される方が優勢であるが[6][注釈 2]、
霊性とスピリチュアリティという訳語を
同じものとして扱うこともある[8]
(ここでは便宜的・恣意的に「霊性」と
「スピリチュアリティ」の記事を分けているが、
記事内容に沿った使い分けを推奨している訳ではない)。

(引用、終わり)

・・・・

・・・・

うん。なるほどわからん。(笑)

んだが、今回の話は、

上記にもでてくる禅の大家・鈴木大拙の

言説を下敷きにしている。

すると、面白いのは、鈴木は、

霊性を文化的発達段階的に捉えているところでね。

そこはおれもだけど。

特筆すべきは、

「鎌倉時代に日本的霊性が芽生えた」

としているんだ。

霊性という意識の発達は、

宗教とも密接に関連している。

NHKの大河ドラマは無論関係ない。
鎌倉殿がなんちゃら~は権力闘争だし。(笑)

どうでもいいけど大泉洋が演じると真面目なシーンでも心が笑う準備しちゃうよね?

ほんと、味のあるいい役者だわな。(笑)


おっと話がそれた。

そう。霊性。この意識は「宗教的なるもの」を希求する意識なんだよね。

しかし、

それなら鎌倉時代より以前にもあっただろ?

というツッコミは当然ある。

だが、鈴木の言説に従うと、

古神道はいわば宗教というより、

原始的習俗の固定化であり、

まだ鈴木の考える「霊性」にまでは進化していなかった。

その意味では、

仏教もまだ、貴族のものであって、日本民族の霊性意識としての

目覚めには至っていない。

たとえばそれは文化にも

あらわれている。

たとえばそれは

平安文学にもそれは現れている。

万葉集や古今和歌集とかね。

歌としては、芸術としては、

秀逸なのだろう。

恋人を想う心情などは切々と

描かれるが、

そこにはまだ日本的霊性の発露はない。

日本民族としての霊性の目覚めは、

鎌倉時代まで待つ必要があるとしているのだ、ということらしい。

では、この霊性覚醒前後の違いとは

一体なんなのだろう。

それは一言で言うと、

大乗思想への覚醒、なのだ。

なのでおれちゃんからすると、鎌倉仏教よりも空海の真言密教がその土台を鎌倉時代より前に作っていたということになるのだけどな。


そのありたはまたいつか別途話してみたい。

ま。そんな話でしたとさ。

追申
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本記事はメールマガジン魂の神秘学Vol.323/2017年11月17日発行を編集し転載した。

まぁ読んでみようぜ。


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