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色々重なって感慨深い日。

★写真に書いてあるトルコ語を訳すと
「4月23日 国民主権と子供の日」と書いてあります。

いつもだと、大きなスタジアムを借り切っての子供たちの人文字やダンスパフォーマンスが一日中TVを賑わしたりする日です。
町でも子供たちのパレードなどが催されて、沢山出店などが出て買い食いしたり、広場集まって催し物を見物したり、の賑々しい日になります。

トルコ中の公道に国旗がたなびき、合わせて建国の父アタトゥルクのプラカードや横断幕があちこちに掲げられて、お祭りムードを盛り上げていたはずの日です。

私は4月23日生まれなので
2002年に初めて一人でトルコに来た時、ちょうど自分の誕生日をイスタンブルで迎えました。ホテルのベッドで起きてTVを点けたら、何だかとってもお祭り騒ぎで、まるで私のお誕生日を祝ってくれてるかのようのでした。
ぷぷぷ( ̄m ̄〃)ぷぷっ!

カッパドキアに住み着いてからも、4月23日は浮き立つ日でした。
おまけに、息子の誕生日が4月22日なものだから
なんだか御目出度い二日間になります。

子供たちは、たいがい、日中何かしかのイベントに参加したり
または、その見物に行ったりします。
で、夜になったら息子か私のお誕生会です。
二日続けてケーキを食べる日々です。

自分で車を運転するようになってからは
4月23日には、車の中から、町中に飾られた国旗や装飾の下を抜けながら
「今年も祝ってくれてありがとう!苦しゅうないぞトルコ市民よ!同胞達よ!」と叫ぶのがお約束で、ぷぷぷ( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
息子も鉄板の失笑をするのがお決まりでした。

ましてや、今年は1920年に初めてトルコで国会が開かれてからの百周年で
よりより一層の賑々しいプログラムが用意されていたはずです。
きっと「国民主権と子供の日100周年を祝う国家プロジェクト」は相当前から準備されていたはずです。
調子に乗って私だってオープンカーでパレードに参加したって良いくらいでした(嘘です、そこまではしません。でもそう言うクラシックカーのレンタルは最近現地でとっても流行っていたので出来なくは無かったかなナ。)。

更にさらに、今年は毎年10日ずつズレる、イスラム歴で
断食月の初日に当たっていて、23日を祝った日の夜中にサウル(断食前の腹ごしらえの食事)に起きて、翌日から断食に入る、と言う「気合の入った」日でもあるのです。

ああ、そうだ、ついでに言うと「おうし座新月」で占星術的にも
一旦仕切り直しなタイミングに中っています。

そんな公私ともに、大騒ぎな日になるはずの4月23日でした。
今、これを書いているのは22日の息子の誕生日を祝い終わって日付を越えて
23日になったばかりの時間に書いています。

トルコでは、現在二十歳以下の子供と65歳以上の高齢者は常時外出禁止になっています。
子供の日に(しかも百周年の年に)子供がお天道様の下に出てはいけない、なんて言う事が起きるとは、建国の父ムスタファ・ケマル・アタトゥルク翁でも、いや、ムハンマドどころか、お釈迦様でも想像できなかったんじゃないでしょうか。

今日は、自主隔離を始めてから初めて買い出しに出かけてみました。
まだあっちこっち寄って買い物するのは憚られるので
隣町の大型スーパーで、野菜から肉からパンからカップ麺までまとめて買うことにしました。
マスクと帽子とバフと手袋の完全武装で臨みました。
外出禁止などが続いていましたが、実際の町の様子は私は初めて見たのですが、

なんか全然ふつー。
( ゚Д゚)

皆、マスクこそしていますが
断食月が始まるからでしょうか
スーパーも混んでいます。

皆、普通に楽し気に買い物をしています。

レジの女の子が
「あ、もしかして日本人? きゃあ、私日本人大好きなの(⋈◍)。✧**♡ **嬉しい!」
みたいな、トルコあるある、のいつもの会話。
「ありがとう。あなた達のおかげで買い物が自由に出来るんだもんね。
 重ねて、ありがとう!」と言うと、めちゃめちゃ喜んでくれました。

トルコ感染者数は検査数とともに鰻登りで大変なことになっているはずなんですが、カッパドキアだからなのか、トルコ全体そうなのか
全く悲壮感がありません。
毎日保健省の大臣が数字や政府の対応動静を逐一報告してる、と言うせいもあるかもですが。

そんな中での祭日です。
どんな一日になるのでしょうか?
明日の続報を待テ!
なんちゃって。

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