見出し画像

罪悪感を感じながら楽しいものを選んでいい

前回罪悪感について書いた後に毎月受けているカウンセリングがあり、罪悪感について話した

というか話すつもりなかったのにそこに結びついた

簡単にまとめると
親がキレやすい、不機嫌になりやすい
→不機嫌な人がいるときに自分は機嫌良くいてはいけない、
 親は少しのことでキレる可能性があるほど精神的なストレスが溜まっている
→家族の世話で自分の時間がない、早く自立しろと小学生の頃母に言われてから実家が無条件に生きられる安全な場所から世界で一番居心地の悪い場所になった
親がかわいそう、自分が自立していないせい
→ポジティブな感情を伴うことをすることに罪悪感がある
 親より幸せになってはいけない
 親に欲しいものを聞かれても言えない
 自分のやりたいこと、不自由、体調不良を主張できない
 おしゃれや楽しいことをする余裕があってはいけない
 プライベートな時間が存在してはいけない
 空いた時間はよりよく生きるために行動しなければいけない(←素晴らしいと思うけど)

何かにずっと怯え緊張して生きていた
今も
安全、安心が欲しい

厳しく思うこと、おかしいと思うことがあっても好きで一緒にいたいと思う
でもそれはキレやすい親ではなく、穏やかな親とだけ
100%嫌いなんじゃない
いつ怒るかわからないから常に無意識に緊張しているのがストレスではあるということに気づけた

親のことを悪くいうことに抵抗があったが、専門学校を卒業してからだろうか、ここ5年?くらいいろんな人と家族関係について話したり、愚痴を言ったり、親に話したり
自分が100%おかしいわけではない
確実に親が狂っている
理不尽に感じることもある
でもそれは親がここまで頑張って生きてきた代償だったり、経験からくる回避だったり、愛ゆえにうまく生きて欲しいことの行き過ぎだったり
仕方のないこと、本人も辞めたいと思っているのにやめられないことだったりもする

そんな嫌なモードの時の親が嫌だということを認めた
親のそんなところが嫌いだと思うことを許した
私も不機嫌を撒き散らして優しくして貰おうとしてる時がある
お互い様

そんな親とは離れた方がいいと言われても一緒にいたいなら今は一緒にいていい
毒親と暮らすことを選んでもいい
自分がそうしたいなら

無職でもネイルをしていい
美味しいご飯を食べてもいい
ゆっくり寝ていい
楽しい思いしていい
罪悪感感じてもいい

罪悪感は感情だから書き換えたり感じないふりしたりしなくていい
罪悪感を感じながらも、やるべきことやりたいことをやっていい
全てのことは誰かの犠牲の上に成り立っている
今自分がやるべきこと=ひきつけられること
自分を自然に生きられるように力を充すことでやっと自分の使命を渡される
力が充足することでやっと使命を全うできるようになる
罪悪感があるからといって何もしてはいけないわけではない
罪悪感はあなたの中にある、それだけの話
外からは見えないから苦しめられているのは自分にしかわからない

罪悪感からもたらされる学びがある

本当に悪いと思っているなら生き方を改める必要がある

まあどんな状態でもその状態だから与えられるメッセージなどあるから、やすむ時期もあるしどんな状態もいいのだが

ボロボロな状態で誰かに気づきを与えることが使命の人もいるんだろう

私は今しばらくは罪悪感から少し解放され、むやみに行動せずただ安心を味わっていたい

無限だった罪悪感は今はないわけではなくとも確実に減っている
0にする必要はない
内容によっては罪悪感を全く感じないことがいいこととも思わない

誰かの役に立つより誰かの機嫌よくするよりまず自分が救われたい

カウンセリングの後お気に入りのカフェに行った
カフェに行っても良い
引いたタロットは女帝
創造性
アイデア
優雅な生活
華やかさ
母性

昔の私に見出せて、今の私に見出せないものばかり
優雅で華やかにいていい
選んでいい

少しだけ不安が和らいだりした

私の記事で何か気づきがあれば幸いです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?