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「出来ない」と向き合う①

こんにちは☀️
今年受け持っている1年生は、夢や希望を持っていて、勉強にも意欲的で国公立を目指している生徒も多いです。
そんな意欲的な様子を見ていると、3月に卒業していった生徒たちと過ごした3年間と比べてしまう自分がいます。
比べてはいけないし、比べる必要だってないんだけれども。
自分自身が受けた心の傷と向き合う必要があるみたいです。
なので今回は前の3年間を振り返って、先に進もうの回にしようと思います。

1年次

コロナ禍が始まったばかりの2020年4月、生徒だけの入学式をやって、1ヶ月ほど休校状態でした。
5月、出席番号が奇数の人と偶数の人で分かれて分散登校が始まりました。
しばらくしてから全員が登校できるようになり、iPadが配られてオンライン授業ができるようになりました。

そして始まったのが毎日の健康観察です。
私の学校は土日・祝日を含めて、生徒も教員も毎日健康観察をやっていました。
最初のうちこそ皆真面目に入れていましたが、私のクラスの生徒はポツポツ時間内にいれない生徒が出てきました。
そんな時は始業前にメールを回したり、直接生徒へ電話をしたりしていました。
この毎日の作業、徐々に苦しくなりました。
自分は縛られたくない性格なのに、毎日しかも始業前に生徒の健康観察を追い立て、自分自身も入れなくてはいけなかったことが原因だと思います。
主任は日曜日もやるよう要求していましたが、自分と生徒の休日までそんなこと出来ないので、無視してました。

なんとか文化祭は生徒のみで縮小しながらも行うことができて、体育祭は簡易版に変わって行われました。
この頃はまだ、「来年こそはコロナが収まって、出来なかったことができるようになる。」と生徒も教員も思っていたと思います。

2年次

1学期の始めにクラス替えをして新しいクラスになり、休みがちになった生徒がいました。
1年次には担当していなかった生徒でした。
詳細は控えますが、この生徒の保護者の意向が学校の意向とかみ合わず、数ヶ月に渡って話し合うことになります。
私の手には負えず、主任・副主任・管理職の先生方を交えて複数回話し合われました。
保護者方もフラストレーションが溜まり、時には「あなたのせいで〜」と長電話で言いたい放題言われたこともありました。
傷つきますよね。
そんなこともあって、最後の方は主任対応案件になっていました。
その生徒は最終的に本校を去ることになりますが、この生徒の去り方は到底こちらの納得できるものではありませんでした。
保護者の意向は生徒の意向とも合っておらず、その生徒が一番可哀想な思いをしたと思います。

クラス全体としては、男子はやんちゃ坊主が多く、ちょっかいやおふざけが過ぎるシーンがしばしばありました。
コロナ前は昼休みに校庭で遊ぶことができましたが、感染対策から禁止されました。
部活は活動していたのでそれが全ての原因ではないですが、有り余った元気を発散するところが少なかったんじゃないかと思います。
何度注意しても指導しても収まらず、生徒の男女仲は悪くなっていきました。
男子にもそれなりに持論があります。
女子の方の話を聞けば、男子たちが「女子ばっかり贔屓する。」と言います。
副担任の先生は静観していたので、私1人で対応していました。

激動の2年次、まだまだ続きます。

読んでいただき、ありがとうございました!

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