何もしないということ

今日は特に何もしていなかった。

「何してんの?」「息してんの」というやり取りにもある通り、呼吸などを含めて本当に何もしないということは不可能ではあるのだが、今日は特に何もしていなかった。
私にとって休日にはよくある過ごし方である。

「休みの日何してたの?」

そしてこれが非常に困る質問なのだ。もはや「息してんのwww」といえるほど無邪気ではない。
そしてたいていの場合は本当に何もしてないのだ。「何もしてない」の定義にもよるが、本当に何もしてないのだ。

それにつけてもずっとテレビ見てたとか、ずっとYouTube見てたとか、ずっとゲームしてたとか、そういうのを「何もしてない」と定義づける人の多さよ。

私は何もしないことができるのだ。

いうなれば寝たきりである。

確かにテレビは見た。Twitterも見た。YouTubeも見た。ゲームもした。ほんとにちょっとだけ。基本は寝たきりである。
でも休日なんもしないでゴロゴロしていたと答えると、むしろ根掘り葉掘り聞かれてしまうのはなぜなのだろう…?

何もしないをしているんだよ。

なんてプーさんみたいな崇高な精神でいられるわけでもないのだ。
何もせず、散らかった部屋のなかでゴロゴロとするだけで、掃除もしないし、なんならそのゴロゴロしてるベッドのシーツとか枕カバーとか変えたら?という状態なのだ。
為すべきことを為し終えて、することがなくなってゴロゴロしているのとは訳が違っていて、言わば全てを放棄している状態に近しい。
したいことがないわけでもないのだ(掃除はしたくないけど、しないわけにもいかない…)

セルフネグレクトとまではいかないまでも、非常に耐えがたい焦燥感のようなものを感じる。感じながらも特に何かをする行動力を持ち合わせていないこの矛盾。

まあゴロゴロと寝て過ごせるのも休日なので、休日らしいといえばらしいか・・・

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