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美しい人々と不自由について

数年前からなのだけど、「ん、なんだこれは」と思っていることがある。表向きにはしずかに、しかし内側ではけっこう衝撃をうけていることがある。

それは、美しい女の人が街にたくさんいるということだ。きっとぼくが気がつく前にも、というかぼくが存在しているかどうかとか関係なく過去にもたくさんの綺麗な女性はいたんだろうけど、「何か興味のあることはないのか」と幼いころ散々尋ねられていたようなぼくにとっては、急に美しい人が増えたような気がしてしまって正直なところ面食らっている。冗談抜きで、綺麗な女性が多い。

たくさんあるのであろう理由のひとつとして、女性のファッションにおける自由度が高いことがあると思う。デパートとかに行っても女性用の洋服を売っているお店のほうが圧倒的に多いし(もしかするとぼくの近所だけかもしれないけど)、売っているものの幅も広い。ある程度流行りをおさえている部分はもちろんあるんだろうけど、お店によっていろんなタイプの服がおいてあって、自分の趣向にぴったり合ったものを探すことが比較的易しいように思う。

ぼくには少なからず女性的な部分があるけれど、だからといって女性の服を着こなせるというわけではない。骨格や顔つき、背丈などからいって、残念ながらそういうものを身につけるのはすごく難しい。だからぼくはメンズの服を買う。それでデパートなんか行ってみると、どのお店に行っても似たようなものしかおいていない。それにいいなと思うものが全然ない。詰まるところ、ぼくにとってはどいつもこいつも流行の下僕に見える。流行りを追っているわけではないのであまりそういうことを言えた口ではないのかもしれないが、哀れなくらい流行を意識しているようにしかぼくには見えない。だから、ぼくは女性がとてもうらやましい。いろんな選択肢があって、いろんなものを着ることができていいなあと、けっこう切実にあこがれている。

それと女性はメイクができる。社会的に、女性がメイクをするということはほとんど疑問の余地なく受け入れられている(期待されている、としたほうが正しい気がするが、それについて話したいわけではないのであえてそうは書かない)。その一方で、男性がメイクをするということは女性のそれのようには受け入れられていない。たいていの男性はメイクをせずに外にでるだろうし、それについて違和感を感じたりすることもあまりないだろう。だけど、ぼくはメイクができるということをとてもうらやましく感じる。

メイクだって、ファッションと同じくいちばん身近な自己表現のひとつだ。なりたい自分、言い換えれば表現したい自分になるためにメイクをするのだろうから。女性たちはそれでさらに美しくなれる。美しくなった姿を世界に提示できる。ぼくは、それはとても素晴らしいことだと思う。でももし男性がメイクをしたなら(言うまでもなく程度によるところはあるけど)、よっぽど容姿に恵まれでもしないかぎりは、社会からごつごつした視線を向けられる。美しくなりたいと思ってメイクしたとしても、社会はその気持ちを汲みとろうとはしない。社会の側にそんな余裕はない。なぜなら、その余裕のなさは時間をかけて紡がれてきた文化に裏打ちされているからだ。ちょっとやそっとではそれはびくともしない。そしてそのなかで生きてきたぼくらの頭には、それをもとにした判断基準みたいなものがこれまた時間をかけてすり込まれている。だから正直なところ、ぼくも化粧をしている男性を街で見かけたなら少なくとも「ん」となると思う。ばかにしたりはしないし敵意をもったりもしないが、きっと反射的にそういう反応が出る。そして人間がそういう反応を示す、あるいはそれを引き出す価値観を共有しているということを知っているだけに、ぼくはとてもメイクをしようという気にはなれない。もし社会的に男性のメイクが受け入れられていたとしたらぼくはおそらくしたと思うが、いまは絶対にできない。だから、毎日メイクをするのはきっと大変なことなんだろうけど、どうしてもあこがれてしまう。

メイクとファッション、男性がその可能性を拡大しにくい機能を女性はうまくつかうことができる。となると、男は何を頼りにしたらいいんだろう。実際に目に見える表現が比較的限定されているとなったら、あとはもう中身しかない。そういう意味では、もしかすると中身をより重視されるのは男性のほうかもしれない。そしてだいたいにおいて期待されるのは、男性性のイメージから立ちあがる気質や性格だ。男らしさとか、包容力とか、そういった類いのものが良いものとして期待される。場合によってはものすごく期待される。恋愛はそのいい例だと思う。そしてぼくみたいなよく分からない存在はその期待と差し出せるものの狭間で苦しむ。悲観的になるわけではないけど、まったくどうしてこんなに生きづらいんだろうと思わざるを得ない。

何はともあれ、ぼくはこの世界が、少なくとも美しい女の人のたくさんいる世界であってくれてよかったと思う。ただ、女性に限らず美しく映る人というのは、表現したい自分を必死に追い求めながらそのときできうる限りを思いっきり表現している人なのかなと思う。それがたとえば化粧をするであってもしないであっても、あるいは男/女らしい格好をするであっても性から解放された格好をするであっても、ほんとうに美しいものは美しく映るはずだ。そんなことがもう少し気楽にできる世界になればいいなあと思う。

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