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【魂の1.6万字】無職でXRと無縁だった私がVR/AR/MR業界特化型のマッチングサービスを立ち上げた理由と想い

小磯純奈  / inxR CEO

「人が足りなくて、どこにいるのかわからない」
「VRやARの業界で働いてみたい、けど、どうしたらいいかわからない」

私は周りの友人らからの声を聞き、自社の方向性を再考しているなかで、XR業界特化の採用マッチングサービスを開発することにしました。

inxR代表の小磯といいます。
現在、XR(AR/VR/MRの総称)業界特化のマッチングプラットフォーム「Match XRs」を開発、運用しています。

昨年の10月ごろに掲示板機能のみのサービスをリリース(v1.0)し、4月に大幅アップデート(v2.0)してから、現在はアメリカ、中国、インドなど、日本だけでなく15カ国のXR人材にサービスを登録いただいたり、XR業界に関する仕事や就職等についてご相談を受けています。

また、労務SaaS事業を展開する米国のユニコーン企業であるDeel社、世界トップクラスの理系人材を輩出するインド工科大学全校と連携するWillings社ともアライアンス提携を結び、他にもベトナムやバングラデシュのHR企業などともパートナーシップの輪を広げています

エクイティでの調達を一切せず、純日本人、エンジニアリングはおろか何もスキルがなかった私が、多国展開をし、無名の企業でも国内外問わずビジョンに共感してくれる素晴らしい方々とビジネスパートナーになれました。

元々Webサービスの開発知見がなくても、一切外部に委託せず内製でどんどんサービスも改善していっています。

このnoteでは、改めてなぜ私がこのサービスを立ち上げたのか、なんのためにやるのか、事業に込める想いの丈などをお伝えしたいです。

そして自身の環境や境遇で、夢を諦めてしまっている方がいらっしゃれば、少しでもその一歩を踏み出すお手伝いができれば幸いです。

バングラデシュとの出会い

私は学生時代にバングラデシュという国に訪れたことがきっかけで強く海外を意識するようになりました。

今でこそ、数多くのアパレルの生産地などとして有名になった同国ですが、自身が幼少期のときは、最貧国としてユニセフのCMで取り上げられているような国でした。インドの右側に位置し、人口密度が最も高い国の一つでもあります。

via https://gisgeography.com/bangladesh-map/
どこかの国旗とよく似ていませんか^^?
via https://en.wikipedia.org/wiki/Bangladesh

私のカリキュラムへの動機はとても単純で、募集を見たときに「こんな機会でもないときっと一生行かない国だろう(せっかくだし行ってみるか)」という気軽な気持ちで参加しました。

今はもう無くなってしまったプログラムだそうですが、当時は一人一人が自ら研究テーマを設定し、リサーチを行うという裁量の大きいカリキュラムでした。
そこで私は経済をテーマにリサーチを行い、現地に向かいました。

当時すでに毎年6%以上の経済成長をしていた同国、私は書籍やネット上に落ちているテキストだけをみたときにその勢いについてあまり実感が湧いていませんでした。

結果的にそのぼんやりとした気持ちも一転、現地の街や人々の活気やその勢いの凄まじさに私は言葉にできない興奮と溢れるエネルギーを感じ、「日本の明治維新はこのような雰囲気だったかもしれない」と想像しました。
そして、「いつか私もこの国で商売をしたい!」と思うようになったのです。

会社員時代

しかし、いざ就職時期になったとき周りには起業はおろか、海外でビジネスをしている人はいませんでした。大学のキャリアセンターに相談に行っても「起業か就職で迷っています」と言うと、「じゃあ起業したら?」といわれるも、具体的にどうすればいいのか見当もつかず、何よりも勇気がなかった私は一度就職する道を選びました。

結果、就職した先は独立系の日系経営コンサルティングファームでした。同期のなかでただ一人、私が配属されたのはアライアンス業務を行う部署でした。地域の金融機関や税理士事務所に対して、コンサルティング機能強化などに向けた支援提案を行なうことが主な業務です。
驚くほど仕事のできる方々ばかりの環境で、そのスピードや生産性の高さ、論理的思考性に圧倒されながら、今の私のベースとなる仕事のイロハを教えていただきました。
今でも出張如何に関わらず半日なら3件、1日なら5件以上予定が入らないと外出できない(したくない?)スケジューリングの癖は、会社員時代に身につきました。

とある出張準備のアポリスト

元々、コンサルファームを受けたのは最初から独立を考えていたためでした。若いうちから多種多様なスキルを持った人や業種業界の方々と仕事をすることで視野が広がり、優秀な方々とのネットワークもできて独立のときに役に立つだろうと思っていました。
結果として、先輩方から教えていただいたことや人との繋がりは今の自身にとても活きています。

同社は国内の主に中堅中小企業を支援していました。
学生時代にいくつかの家族経営の会社でバイトやインターンシップなどを経験したときにその大変さを間近で見ていて、生意気ながらも「ここをもっとこうすればみんなの仕事が楽になるんじゃないかな」などと考えていたこともあったため、そういった諸々も含めても私にとって理想的な会社でした。

今もたまに同期や先輩方とお会いするときがありますが、本当に皆さん今でもとても良くしてくださって、ちゃんと恩返ししたいなと常々思っています。

就職した当初は訳もわからぬまま、ただがむしゃらに仕事をしていました。
要領の悪さに辟易されながらも、提案がうまくいかなかった時は根気よく改善のための指導をしてくださったり、うまくいった時や提案が採択された時などは部署の皆がお祝いをしてくれる、素敵な職場でした。(会社員時代の画像データが実家にあり写真が見当たらず)

2年目には新しい事業部の立ち上げに関わらせていただき、気づくともう入社して3年目。
5年以内に退職し、独立すると決めたものの、私は目標に向かって着実に進んでいるのだろうか、何のために仕事をするのか、どんな人生を歩みたいのかについて改めて考えるようになりました。
現在、私自身も就職のご相談を受けますが、ちょうど20代中盤の方は一度このタイミングでご自身のキャリアについて考える方が多いようです。
そして、私は原点に立ち返りその年のGWを活用して再度バングラデシュに訪れます。

渡航日までに学生時代から考えていた事業内容のプレゼン資料を準備し、書籍やネット、人のコネクションなど、ありとあらゆる手段を使ってバングラデシュと日本にいるバングラデシュ関係者にアポイントをとりまくりました。

バングラデシュという共通言語でできた友人たちと東京の焼肉屋さん
(ムスリム勢はひたすらフライ食べてた)

結局、GWとその前後で日中は通常業務を行いながら終業後の時間や休日などを活用し、関東関西と現地で合わせて少なくとも50名以上のバングラデシュ関係者の方々と新しく出会うことができました。(そのうちの数名は今も仲良くしていただいており、現在ビジネスパートナーとしてご一緒させていただいてる企業様もいらっしゃいます。)

また、7年ぶりに訪れたバングラデシュの発展は凄まじく、空港を降りた瞬間からその変化に気づくほどでした。
(バングラデシュの経済事情等については、詳しく話すともう1記事書けてしまうので、気になる方は声かけて下さい。)

帰国後は早速退職準備を進め、現地に移住する気満々で日々を過ごしていました。

現地の日本人会(一番右の2段目)
AOTSニューデリー事務所顧問フセインさんのご自宅にご招待いただき、
事業相談に乗っていただきました
GWにお世話になったバングラデシュのホストファミリー

突然の中国移住と暗黒時代

ところが、当時親しい間柄だった方の強い反対と説得で急遽中国の深圳市に移住することになります。
ただやはり、会社を退職し、バングラ行きを諦め人に誘われて来た中国では目的意識を見いだせない日々が続きました。
そして、信頼していた日本人の方からの価値観の押し付けや重度のハラスメントなどを受け続け、精神的にかなり追い込まれていました。当時は常識的な判断もできないほど麻痺していて、おそらく周りの人も一方からのみの意見を聞き、私がここまで苦しい状況だったことはあまりご存じないと思います。

とはいえ、せっかく来たのに何も成し遂げないまま帰国するのは良くないのではないかというサンクコストなども働き、私の心理状況はどんどん悪化していきました。
何度も人に裏切られ、圧力を受け続けた結果、私はひどい人間不信になってしまいました。だいぶ良くなってきてはいるものの、今もこの課題とは闘っています。

また、少しずつそういった自分を攻撃するものやストレス対象から距離を置き、新しい交友関係などができてゆくなかで自身が異常な状態であることに気付かされます。(特に中国人のシェアメイトの友人には本当に勇気づけられました。)
そして、いったん全てをリセットするために帰国を決意しました。

この話をすると大抵、相手方が中国人だったのかとよく聞かれるのですがそうではありません。それ以来、結局は人対人であって極論、民族や国籍は本当の意味では関係ないのではないかと思うようになりました。
無意識の中で「同じ民族の人間がそんなことするわけない」と決めつけて、それ以外の可能性を排除したり見てみぬフリをするのではなく、色眼鏡を外して物事を見る眼を養っていくことこそが重要なのではないかと思います。

ちなみに別の中国人の友人には「中国には日本の10倍の人がいる。だから優秀な人も悪人も単純に日本の10倍いると思ったらいいよ」と言われて、妙に納得した記憶があります。

私は中国や中国人は今でも好きです。最終的には中国人のシェアメイトと3人暮らしをしていましたし、帰国のときに火鍋屋さんに連れて行ってくれて、泣いて送り出してくれたのも彼女たちでした。

私のいってらっしゃい会をシェアメイトたちと

資金0、スキルなし、コネクションなしの無職が業種業界未経験からデザイナーを目指す

2020年1月に私は帰国しました。
帰国した当初は滞在していた深圳のすぐ近くの地域で世界を震撼させるウイルスが粛々と拡がっていることなどもちろん知る由もなく。

帰ってきてからの私は、貯金もスキルもなければコネクションなどもありません。しかも無職。

私はSteve Jobsのこの言葉を思い出し、もう一度自分の人生について考えました。

If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
もし今日が人生最後の日だとしたら、これからやろうとしていることをやりたいと思うだろうか。

Steve Jobs' 2005 Stanford Commencement Address

明日地球が滅亡しても、事故に遭って死ぬとしても、後悔のない人生を送りたい。
他人の理想の自分になろうとするのではなく、自分の理想の人間になりたいと思いました。

そこで、私はこれからの人生を自分が本当にやりたいことに全力を注ごうと「寝食を忘れて没頭できることは何か。」を考えました。

当時の私には、寝食を忘れてできるくらい好きなことが2つありました。

1つ目が旅をすること、2つ目が絵を描くことでした。

九州一周一人旅の写真

学生時代には何度も一人旅に出て、結果的に日本一周をしましたが、旅では出費の方が多く、最初は収入が支出を上回るイメージがあまり湧かず、思い切って小学校の頃に夢だった「絵描きさん(イラストレーター)」になろうと決めました。

今見ると下手くそですが、大昔に描いてた絵
下書きなしで描いた猫

決めたはいいものの、私にはそもそもスキルがありません。当時の状況はこんな感じです。

  • イラストレーターとデザイナーの違いがわからない

  • デザイナーは服飾デザイナーのことを指すと思っていた

  • そもそもデザインツールの使い方がわからない

  • ポートフォリオが何かわからない

  • かろうじて持っているPCはLet’s noteのみ(営業職の人がよく持っているPanasonicのラップトップ)

  • ペンと紙でリアルな絵は描ける

これで、よく仕事できるようになったなと今でも思うのですが、結果的に帰国して、イラストレーターになると決め、その月には売上が立つまでになりました。

当初、まずはイラストレーターになるためにどういう選択肢があるかを考え以下の解にたどり着きました。

  1. 独立する

  2. 学校に通う

  3. 転職する

見ず知らずの著名なイラストレーターさんをネットで検索し、無礼を承知で凸る私

しかし、学校にはお金がないので通えない、転職するにもポートフォリオが必要だと言われ、デザインツールの使い方すら知らない私はまずツールの使い方を覚えないといけないなと思いました。
そして消去法的に1を選ぶことにしました。

ここからはもう最初から正攻法などないものですから、とにかく先に仕事を受けてしまい、ツールの使い方は実践の中でYouTubeを見たり書籍を読んで、どうしてもわからないところだけイベントなどで名刺交換させてもらったデザイナーさんに聞くなどして独学で身につけていきました。

以下は当時のアウトプットです。今見ると色々思うところはありますが、この時は一つ一つに魂を込めて一生懸命描いてました

こちらは私にとって思い出深いイラストの一つ
赤色の髪はボツになりましたが個人的に気に入ってました
タイポグラフィのヘッダー
グラフィティのヘッダー

最初は本当にお金がなかったのでGIMPやInkscapeという無料のツールを使いjpegなどで納品していたのですが、法人の案件を受けたときにaiデータ(Illustratorの拡張子)が必要ということで初めてAdobeを購入しました。その時は本当に悩みに悩んで、ドキドキしながら購入ボタンを押したのを覚えています。
そして、Let's noteだとPhotoshopがいつまで経っても立ち上がらないので、意を決してMacbook Proをリースで購入。この投資は本当によかったなと今でも思います。
こうして、何か問題があるたびに一つずつ、本当に一つずつ解決していきました。

かなり無茶苦茶な方法ではありましたが、その後ご依頼いただける仕事の幅も増えて来ました。
結局、イラストの仕事よりもデザインの仕事を受けることが多くなり、途中からイラストレーターと名乗るのを辞めました。(「イラストレーターの小磯です」と名刺交換をした人に、「どんなものを作っているんですか?」と言われ、「イラストやロゴ、チラシを作っています!」と紹介したときに、「それは…デザイナーでは??」と言われ、デザイナーとイラストレーターの違いを理解しました)

ネオンのバナー
ビジネス名刺
お手伝いしたLPとそのモック

▼改修させていただいたサイト(自走いただくことを目的とし、運用保守は方法をお伝えして権限を譲渡しました)

そして、3ヶ月も経つと法人比率が100%になり、額面ではありますが会社員時代の給与くらい稼げるように。デザインの仕事の要領も掴み始めた頃、モデリングのお仕事をご依頼いただきました。
自分は当時、平面でデザインしているのに3Dに見えるIsometricという表現を練習していて、おそらくそれが3Dデザインができる人と勘違いされたのかもしれません。

確かに3Dに見える
ずっとひたすら模写したり、新しい技法を勉強していました

全くモデリングの知識はなかったものの、デザインのときと同じ容量で0から勉強を始めました。そうすると、モデリングは少なからずVRやARという技術と関連があるということを知ります。(当時はもちろん、VRとARの違いも分かりませんでした)

モデリング3段チョコケーキ
アバターのたこ焼きもモデリング

▼モデリングを勉強していくとアニメーションも作れるように

▼モデリング技術を組み合わせて作ったAR(面白系たくさんあります)

同時期にちょうど地元大阪で知人に誘ってもらい、大阪駆動開発という勉強会に参加しました。その時に、生まれて初めてVRゴーグルを装着しました。ゴーグルをかけたら一変、目の前に先ほどと全く違う世界が拡がっている。その奥行きはもっと進めそうだと歩きすぎると仮想空間ではまだ先に進めるのですが壁にぶつかってしまう、私の脳が仮想空間を現実世界だと思い込んでいる。これはまるで大好きな映画『マトリクス』のような体験と似ている…バングラデシュで感じた時と似た、言葉にできない感動を味わいました。

法人成り

デザイナーになってから半年も経つ頃には、だんだん周りの経営者さんに「いつ会社にするの?」「あれ、もう法人だと思ってた」と言われることが増えてきました。

そして、当初はデザインの事務所を作るつもりだったのですが、VRやARの面白さに魅せられ、それらの技術を活用して業務改善(コストカット、人手不足解消、業務効率化)を支援、提案するXR×DXの会社を創りました。(東京に出張中に郵送で法人手続きを行なったため、法務局での臨場感を味わっていません。)
会社員時代の経験などもあるかと思いますが、この領域は業務イメージがしやすく、自分自身が高い興味や関心があり、なおかつ好きな領域でもありました。
今でも、イケてるSaaSサービスには憧れがありますし、新しいサービスリリースを見ると試してみたくなります。

ちなみに法人にするのは元々決めていました。
なぜなら、点よりも線、線よりも面の方がより多くの方々のお役に立てると思ったからでした。逆を言うと、私が多くの方々の夢の実現に対して背中を押したいとしても、私一人では限界があると思っており、法人化し個人ではなく組織で事業をおこなっていくというのは、自身の叶えたい世界線から逆算したときにとても自然な手段、選択だったのです。

また、デザイン事務所にしなかったのにも明確な理由がありました。
すでにデザインの市場は飽和状態だったからです。STUDIOをはじめとした沢山の便利なツールが出てきていて、ひと昔前よりもデザインが人々にとって身近なものになり業界全体の相場感は逓減していました。

現在、VR事業をやっている知り合いの経営者さんも20年ほど前と比べるとデザイン事業の価格相場が10分の1まで下がってしまい、やむなく事業を転換したとおっしゃっていました。
市場が出来上がってきているデザイン業界で生き残っていくには、ベイジさんやGoodpatchさんのようなコンサルティング等、デザイン+αの機能を伴うか、もしくは価格で勝負し数をこなすといった競争になってしまい、後発で参入するメリットをあまり感じられませんでした。

そして気がつくとすでにこの頃には旅をすることや絵を描くこと以外で、寝食を忘れても没頭できることがどんどん増えていました。

社名は色々考えた挙句、inxR(インエックスアール)と命名。

ロゴも手作り

街を歩いているときに色んな看板を眺めていて、意外と何の商売をしているかわからない名前が多いなと思ったため、パッと見てもらうだけで何をしている会社かわかってもらえる方がいいなと思いました。
加えて、ドメインは最低3文字じゃないといけないのですが、今後の運用を考えたときに英単語の文字数が限りなく少ない社名がいいと思っていました。

ちなみに最初から海外を意識していたので、日本語での読みずらさは後から気づきました。汗
一方でXR業界の人はこの社名をスッと読めるのです。なので、弊社の社名を読んでいただければ、その方が業界に明るい方かどうかがわかるというフィルタリングの役割までも果たしてくれるという、想定していない副次的効果も得られました。
(また、私の名刺サイズはフリーランスの時から3.5×2inchi、いつ海外の方に名刺を渡しても読んでもらえるように必ず英語で作っていました。)

法人化しても最初から潤沢なお金があるわけでもなく、基本的には営業などはもちろんですが、法務や税務も全て自分でこなしていました。(なんなら法人設立もLegalScriptというサービスを使って自分でやりました。行政書士の杉野先生にも大変お世話になりました。)

特に法務については、ドラフトを自分で作る代わりに格安でチェックしてくれる弁護士さんがいらっしゃり、自分で書籍(おすすめ貼ってます)を買って勉強し、リーガルチェックしてもらってからお客様にお送りするということを繰り返していたためかなり法務の理解も深まりました。
弁護士の冨田先生には本当にお礼を言っても言い切れず、事業が大きくなったら必ず恩返しさせていただければと思っています。

6ヶ月で3つの自社サービスをリリース

実は、弊社は半年で3つの自社サービス(パッケージを含む)をリリースしており、現在のサービスは3つ目になります。

24時間365日どこからでも衛生的に試着体験ができる「Beauty AR」

最初にリリースしたこちらのサービスは、とあるコンタクトレンズ卸の企業さんからのご相談をきっかけに作ったものでした。

▼Beauty ARのリップデモ

パンデミック禍でコンタクトレンズを店舗で買うには衛生面で心配との顧客も多く、ARを利用したい。すでに別のところに開発を依頼したがコストも期間もかかる割に使いづらいとのことでした。
そこで、抱えていらっしゃる課題をヒアリングし、解決したいことに対して最低限の機能だけを盛り込んだARを作り、提案を行いました。
しかも、Instagramと連携しているので、そのユーザー体験のためだけに専用アプリをダウンロードする必要もなく、拡散効果も見込め、アナリティクスまで分析できるという優れものでした。

そして同じ課題を抱える事業者さんが多いだろうと思い、パッケージとして売り出すことを決めました。
最初の提案で作った商品から、少し手を加えて、テクスチャや色味だけを変更すれば無限にあらゆるコスメ系のARを作れるように基幹設計をしなおし、LPを1-2日ほどでサッと作ってリリースを出しました。(初のリリースだったのでLPもリリースも文言などを考えるのに少し時間がかかってしまいました)

バーチャル空間でリアルな購入ができる「バーチャルECストア」

こちらも、ある服飾関係の経営者さんとお話ししているときに「私たちの業界は特性上、完全にオンライン化することは難しい。そうはいっても、店舗の維持は大変。」との声を聞き、あえて実店舗を活かして、実際の店舗で買い物をしているような購入体験を提供できないかと考えました。

こちらは空間の3Dデータを採取して、実店舗と同じバーチャル店舗を作り、その中でウインドウショッピングやAR試着および配置シミュレーション、購入までができるサービスでした。しかも、こちらも行動分析ができるものでした。

Beauty ARもそうですが、体験して終わり、新規性や話題性がある、なんかすごそうといった定性的な内容だけでなく、導入いただいた企業さんがきちんと定量データなどを事業に活かしていただけることを意識していました。

これはデザイナーだった時もそうで、言われたものをただ作るのではなく、中長期の運用のしやすさやその依頼の目的、依頼してくださる企業さんのその先のお客さまなどを意識し仕事をするように心がけていました。この時の内容について、過去にインターン生が書いてくれた体験記があるので、よければ読んでみてください。

自社の強みを発揮できる事業は何だろう

2021年の6月に2つ目のサービスをリリースして以降、また別の建築業界向けVRサービスのリリースを検討していましたが、自社の方向性を改めて考え直しました。
このまま建築や不動産系のサービスを展開したとしても、建築業界はすでに多くの競合他社がひしめき合っており後発の私たちが市場で台頭していくことができるのだろうか。それに0→1でポンポンサービスをリリースしたとして、ただでさえリソースが少ないのに全部中途半端にならないかという懸念がありました。
また、もっと我がごととして、自社の強みを活かせることはないかと模索していました。

そこで、再度XR業界を分析し、以下の3分野に市場を見出しました。

  1. アグリ

  2. 教育

  3. HR

アグリは全く知見がないのと残念ながらあまり興味が湧かず、教育は私が直接講師としてやるには限界があり、学習教材の準備や講師の手配など初期の工数や費用がかかると考え、次に挑戦する領域をHRに定めました。

私は基本的に、世の中がより良くなるか、自分の強みが役立つか、市場があるかどうか掛け合わせて、かつできるだけ以下の要素を意識して事業をしていきたいと思っています。

  1. 資本が少なくても始められる

  2. 固定費や変動費などのコストが低い

  3. 在庫がいらない

  4. 腐らない

  5. 労働集約ではない(仮説を検証するためにスケールしないことをするのは良い)

  6. 納品がない

  7. 売掛金がない

また、すでに人と人を繋いでマッチングをした実績がいくつもあったのもHR事業を始めようと思った大きな理由でした。これなら私の強みを活かすことができ、好きな領域で多くの人々のお役に立てると思ったのです。

時期は前後しますが、同時期に何名かから弊社で働きたいとのご応募をいただき、候補者の方々とお話をする中で業界への就職フローや情報に課題があることに気づきました。
Match XRsの原型となる、XR業界に特化した採用及び就職のためのサービスの着想を得たのです。

そうして改めて、自社の目指す方向性、市場、自身の強みを分析したときに、この事業で進めていこうと決めることができました。

ちなみに以下の書籍やリンクはスタートアップだけではなくこれから起業したい人にもおすすめです。

XR業界特化型マッチングプラットフォーム「Match XRs」の変遷

Match XRsにコミットを決めた理由

「Match XRs」はリリース初日から、過去2つのサービスと大きく異なったことがありました。
それは、初日から数件の企業様からのお問い合わせがあり、中にはすでに決済をして利用をしてくれていた企業があったことです。(とんでもなく決済しにくいサービスであったのにも関わらず)

反対に、過去2つのサービスはそれぞれのリリースで毎回10件以上VCや投資家の方々からと同じようなサービスをやろうとしていた競合他社からはお問い合わせがあったものの、私が本当にお力になりたいと思っていた企業様からのお問い合わせはほとんどありませんでした。

「なぜそのときに資金調達をしなかったの?」と今でも何名かから質問を受けます。
実は最初のプロダクトから、内製する重要性を感じていたので私が直接サービス開発を1から勉強しプロトタイプを作っていました。それに、ほとんど費用がかかっていなかったので(サーバー代と開発に必要なAPIツールなどの月額費用、バイトの方にお支払いする給与くらい。私の時間はいくらでも使ってますが笑)特に資金調達の必要性も感じていませんでした。

私は企業には以下の2つのタイプがあると考え、弊社は後者に当てはまると思っています。

  1. 新しい市場を自らが創造していく

  2. 既存の市場を再定義し、既存課題を解決していく

バージョン1(掲示板機能のみ・日本語のみ対応)

話は戻りますが、私は業界の課題を理解していたものの、マッチングサービスにするとBusinessサイドとConsumerサイド、どちらもを創客しないと理解していたのでできるだけそれを避けたいと思っていました。

また、海外のサービスを見るといくつも求人掲示板のみの機能を持ったサービスがあり、きちんとニーズもあって機能しているということを見つけました。
そこで自社も海外と同じように、求人情報のみを掲載し応募の際には企業の採用ページへ遷移する求人掲載のみのサービスを作りました。

リリース前日の動作確認画面

こちらはWebflowを利用し、1週間くらいで作ったように記憶しています。
当時は使ったことがないサービスでしたが、中長期の運用を考えたときにある程度自由度があり、現段階で想定している機能を持つAPIと連携させやすそうであるという理由で採択しました。
短期的には工数がかかりますが、長期視点で複利が効くと信じ、まずは使い方を1から勉強するところから始めました。結果的にこの判断は大正解でした。

そして想定はしていましたが、市場戦略を考慮せずとりあえず先に市場にデリバリーすることを優先してしまっていたので、掲載いただいた企業様に思ったような効果を得ていただけませんでした。加えて、利用してくださった方々にヒアリングを行うと、結局マッチング機能を実装しないといけないという結論に至りました。
(あの時にご利用いただいた企業様には思ったような効果を得ていただけず、本当に申し訳ない思いです。必ずお力になれる時が来るよう、地道に改善を繰り返していきます。)

自分のリソースどうするか問題

そうこうしているうちに、自分が応募したアクセラのオフィスで開催されているオフ会でD'Artsの髙野CEOと出会い、会って2回目で口説いていただいて経営メンバーとしてD'Artsにジョインすることになりました。

inxRとしては参加できなかったものの、採択された別のスタートアップにジョインすることになって、またもやアウトローなステップではありましたが結果的に予定していたアクセラに参加することができました。

D'Artsは誰でも簡単にノーコードでVRアニメが作れるビルダーとそのプラットフォーム「ハッチポット」を開発しています。
当時、私以外のメンバーは皆エンジニアだったので、私は主に見込みユーザーの開拓やヒアリング、LP作成とその動線設計など広報やセールス周りの仕事をまるっとお手伝いしていました。

▼最初のデザインと少し変わってますが、1日で作ったLPがこちら

そして、11月に自分の視察も含めアメリカに行き、1月にCES出展を行うなどしているうちに目まぐるしく2021年が終わりました。

同時にCESのタイミングで、髙野CEOよりフルコミットの打診を頂きました。
ただ、今までを振り返ったとき、私はD'Artsの仕事しかしていない日も出てきていて、自社の事業がとても中途半端になっていることに気づきました。もう一社HR系の会社の営業支援も行っていましたが、熟慮の結果、全てをリセットしてMatch XRsにフルコミットしようと決めました。

バージョン2(マッチング機能搭載・英語対応開始)

そしてアメリカから帰国し、本格的に海外での事業展開をしようと思った私は3月を丸々サービスのアップデートに費やし、4月にマッチング機能と英語UIを追加したMatch XRs(バージョン2)をリリースしました。

この時はマッチングサービスのバックエンドの複雑さを理解しておらず、バージョン1と同じ1週間程度で見積もっていた工数ですが、結果3〜4倍の時間がかかってしまいました。
ちなみにこれも中長期の視点で最初から外注するつもりは一切なかったので、最初だけ大変ではありますがバックエンドのシステムも含めて全部1から勉強して作りました。ちなみに今連携しているサービスは決済を司るStripe以外、全て日本語対応していない海外のサービスのため、英語のドキュメントやチュートリアルを何度も何度も読み手探り状態ながらも開発していきました。

この時は1ヶ月間、朝起きてから寝るまで文字通り本当にずっと開発していました。(同居人に外出していないことを心配されたほど。)
特に企業と個人のIDを振り分けたり、プロフィールなどを自動更新するシステムを設定するのが大変で、何度やってもエラーになり、テストも500回では済まないくらい繰り返したと思います。途中から数えるのを辞めました。

今振り返ると、ここも先にサービスを作るのではなくTypeformなどで作って手動で動かすサービスを作ればよかったかなと思いました。

とはいえ、少ないリソースでいきなり海外向けにサービスを展開するとなると時差がありリアルタイムで対応できないことが最初から目に見えていたため、今は自動化システムを作って利用者さんのフラストレーションを減らしたり、バグがあってもすぐに対応できるようになって社内は他の業務に集中できているので、これはこれでよかったかなと、選んだ方向を無理やり正当化しています。

バージョン1と2を合わせた仕様書の束(ボツになったものやLPのラフなども沢山あります)

その後、少しずつではありますがご登録いただく方や直接のお問い合わせもいただけるようになりました。
また多い時は月に100件のアポイント(就職相談、XR企業さん、アライアンス先とのMTGなど)に対応し、1日に50件ひたすらDMを送る日などもありました。(しかもテンプレではなく、お一人お一人の公開情報などを読み毎回個別の文章を考えてからご連絡していました)

就職相談後にいただいたご連絡

そして6月にはDeel社をはじめ複数の海外法人とアライアンスを締結を結び、8月にはご登録いただいている登録者が15カ国にまで増えました。

また、サービス自体も本当に毎週毎週アップデートを繰り返し、当初に比べるとかなりUIやUXも良くなってきました。

現在連携しているビジネスパートナーの専門エリア(これでも一部)

▼バージョン2のBefore

▼バージョン2のAfter

叶えたい世界線

人々が生まれ持った境遇や環境に囚われず、 自身の幸せや可能性を追求し何度でも挑戦できる世界を追求する。

これが弊社inxRのビジョンです。

「風の時代」と呼ばれるなか、人々は物理的・物質的制限に囚われずに「個の力」を発揮できるようになりました。 肌の色や目の色、性別や年齢などに関係なく、なりたい自分になれる。どこに住んでいても、いくつになっても、少しでも多くの人々が自分のリミッターを取り払って何度でも挑戦し自身の幸せを追求できる世界を目指したい。

そのためには、少ななくとも、そして大きな可能性の一つとしてXR産業の成長が欠かせません。
そして、XR業界の成長を加速させるためには、XRに関わる企業・組織が必要です。

私たちは、先行きも見通せないけれども間違いなくクールでエキサイティングな業界に飛び込み牽引していこうとする果敢な企業や組織に敬意を払い、その業界に関わる方々を支える「人」の課題を解決したい。

そのために「Match XRs」は存在しています。

私は中国での経験から、自分に力がないと自分を救い出すことすらできない、ということを学びました。
そして、周りの環境や、たった少数の言葉の暴力や刷り込みで、人は簡単に自尊心を失い、存在理由を忘れてしまいそうになるのだとわかりました。

ちなみに今ではもう誰も恨んでいませんし、例えばですが、復讐や嫌がらせなどに自分の大切な時間を使うことすらアホらしいと思うようになりました。自分が夢中になれることや誰かのためになりたいと強く思えることができれば、他の些細なことはどうでも良くなって、心は必ず強くなれます。

むしろこの時の暗黒時代があったからこそ、私は今、素晴らしい人たち環境にも恵まれ、一生をかけて貢献したいと思える事業に巡り合うことができたとプラスに転換することができるようにまでなりました。

力なき正義は無力である。

宗道臣

私はこの言葉の意味を身をもって知りました。
だからこそ、人の心無い言葉や周りの環境、ご自身の現状に対して夢を諦めている人がいれば私はその方の背中を押したい。
もっと自信を持って欲しい。あなたには無限の可能性がある、と。

また、なぜ私は本来であれば競合である、同業他社ともパートナーシップを結ぶのか。
それは私は一つのパイを取り合うのではなく、みんなでそのパイを大きくしていくことで、恩恵を享受できる母数を増やしたいと考えているからです。

そして現在は一つずつ業界の課題を解決していこうと、今は採用をテーマに取り組んでおりますが、ゆくゆくはインディーゲームなどの小規模なチームの組成やR&Dのパートナー開拓、これからの業界を担っていかれる方々のメンター探しといったXR業界のありとあらゆるシーン、もちろん世界中で活用していただけるようなサービスを目指しています。(現在バージョン7くらいまでは明確な構想があります)

これから

私は8月末に再度サンフランシスコにおり立ちました。

今後は本格的に海外展開を進めていきたいと思います。本格的にとはどの程度かというと、移住してサービスを作り、XRに関わるありとあらゆる人々と対話をして、チームビルドをするということです。

私は1年半前に大阪から関東に引っ越しました。その一番の理由は、ヒトモノカネ情報の母数が少なくとも5倍は違うと感じたからでした。
結果、私はあのまま大阪にいた場合、今のような事業のやり方を選んでいなかったかもしれません。これは決して大阪を卑下しているわけではなく、その土地にはその土地の特性があって、何をしたいかで環境を選んだほうがいいということを伝えたいだけです。(アバターをたこ焼きにするほど大阪を愛しています。)
実際に、お笑いのてっぺんを目指すなら多くの人はきっと大阪に行くでしょう。

私は今回、人生で2度目のサンフランシスコに来て、この土地のスタートアップがなぜ世界を席巻していくのか、なんとなくわかるような気がしてきました。
周りにはSlackやSalesforse、Microsoftといったメガテックカンパニー企業の本社がひしめき、同じステイ先やコワーキングスペースだけでもスタンフォードやバークレー、ハーバードといった名だたる名門校の卒業生がそこらじゅうにいます。先日のミートアップであったエンジニアはYahoo!からSalesforceに転職したと言っていて、別のタイミングでお会いした方はGoogleからAppleに転職したと教えてくれました。このエリアだけでエコシステムが完結してしまっていると感じました。そして、スタートアップ経営者の数も多ければ、投資家の数も多い。
そしてみんな英語を共通言語として会話をし、意思疎通を図っています。(スペイン語も中国語も聞こえてきますが)

そして何より驚いたのが、こちらの物価や企業の給与でした。こちらではスーパーなどのデリカコーナーのシェフですら、年収が1000万を超え、スターバックスのバリスタは日本の2倍の給与を得ています。家賃も10%、20%と毎年上がり続け、ランチタイムに普通のハンバーガーセットを2人で食べるだけでも7500円の世界です。(円安の影響もモロに受けています。)
しかしその金額でも支払えるだけの収入を得ているのです。そしてどんどん物価が上がり、賃金も上がる。アメリカ人や中国人は高い給与オファーのところにどんどん転職していきます。そのため企業も優秀な人材を採用するためには高い給与を払う必要性を感じており、そのスパイラルが繰り返されます。

最近ちょうど読んだこちらの"Top 100 Emerging Ecosystems"(新興エコシステムの世界ランキング)でお隣の香港や中国 広州、台湾 台北、ベトナム ホーチミンやタイ バンコクなどはランキング入りしていますが、アジアが大陸3位の成長率を誇っているにも関わらず「Japan」の文字を見つけることができませんでした。

アジアは3位

私はデータと実際に海外の様子を目の当たりにしたときに、一人の日本人として危機感を感じました。

時の人、Web3領域で知らない人はいないであろうAstar創業者の渡辺さんが何度もおっしゃっているように、「日本から世界へ」ではなく「世界で挑戦したいのなら最初から世界に行くべきだ」という言葉に納得感を得ています。

私は純日本人で英語もネイティブではありません、またXRはおろかIT領域に無縁の人間でした。そんな私でも、様々なスキルを後天的に身につけ、サービスを作ることができるようになり、今はだいぶ英語を聞くことと読むことに慣れてきました。話すのはまだ練習中ですが、これも実践の中でレベルアップし続けています。

一人の夢追い人として、ロマンたっぷりのビジョンを掲げる一人の起業家として、アメリカで挑戦し、沢山の人の夢を応援し可能性を拡張したい。そう思っています。

もし今、何かを理由に自分のやりたいことを諦めてしまっている人がいれば、今日が人生最後の日だったら何をやりたいか、ぜひご自身に聞いてみてください。

同志たちへ

最後にはなりますが、私たちはXR業界でキャリアチェンジしたい方々や企業さんを応援しています。
就職のご相談なども受け付けていますので、気軽に申請してください。

また、共にXR業界の未来を支えたいと思い世界を目指す方がいらっしゃれば、ぜひお話ししたいです。
もし私たちの目指す世界線や人生をかけて成し遂げたいゴールがあなたの目指す道と同じなら、一緒にそのゴールを目指しませんか?
志高い同志からのご連絡、お待ちしています。

最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

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