郷に入っても、我に従え
最近、英語を教えさせていただいている。
ずっと英語に関わるお仕事を
させていただいてきたけれど
(映像翻訳とか、アーティスト通訳とか…)
英語を教えるというのは、全く初めての経験だ。
あ!でも映像翻訳を教えたことはあった!
でも
翻訳を教えることと
英語を教えることは
全く違う経験だった。
翻訳のクラスでは
「誰かの言葉を、他の人にも
分かるように言い換えるやり方や在り方」
をお伝えしていた。
翻訳者は「言葉というエネルギーの通過点」だ。
対して、英語を教えることは、
「その方のエネルギーを表現する選択肢」を増やすお手伝い
だと感じている。
あれ?分かりにくい?
あくまでも
「主役は、生徒さん」
生徒さんが伝えたい思いがあり
生徒さんが表現したいエネルギーがあり
それを英語という手段で、世に放つ。
その方らしい英語で。
その方らしい表現で。
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生徒さんの英語に触れることは
生徒さんの人生やエネルギーに触れることだった。
他言語を学ぶことは
「他言語の仕組みを学ぶ」ことだけじゃない。
言葉はエネルギーが具現化されたものだ。
パズルとは違う。
あなたの言葉を感じて
あなたのエネルギーを感じて
それを英語という表現で放つための、お手伝い。
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そんなことを思っていたら
「郷に入っても、我に従え」
という言葉が降りてきた。
このことについて書きたくてNOTEを書き始めたけれど
ここまででちょっと長くなってしまったので、
この言葉については、また今度にしようかな。
でも、つまり
「郷に入っても、我に従え」
だと思うんだよね。
みんなは、どう思うかな?
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