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TwitterなどのSNSでよく見る、「嫁姑問題呟き」へのコメントを見て思うこと。

皆様、こんばんは。澄田 美稲(スミダミネ)です。

記念すべき初記事?で話す内容なのに、なにやらタイトルから怪しげな香りがしますね。

タイトルから察してらっしゃる方々も多いとは思いますが、この記事は所謂「物申す系」です。

最近Twitterでお嫁さんが姑に対する愚痴や不平不満、「こんなことを言われる。」「子育てに介入してきて嫌だ」等の呟きをされる方々がいらっしゃいますよね。

その呟き自体は私的には何も気にならないし、「あぁ、大変な思いをされてらっしゃるんだな。」と思い、同情というと少し違う気もしますがそれに近い感情を抱きます。

ただ、私が見ていて毎回「これはちょっと違う気がする」と思うのは、
その呟きに対する他の方々のコメントなのです。

コメントには
「最悪な姑ですね!」や「人としてありえない!最低だ!」「これだから老害は」
などのような姑叩きをする方が、もちろん全員ではなくともかなりの数いらっしゃいます。

その方々も嫁姑問題で辛い思いをしてらっしゃるのかもしれません。もしくは呟き主さんを元気づけようと、「あなたは悪くないよ」と伝えたいだけなのかもしれません。

でも。それでも。呟き主さんが訴えている事とはいえど、呟き主さんが好きになってそして一緒に人生を歩んでいきたいと思った旦那さんを育てた人こそ姑さんです。

その姑さんを、裏の事情や日常会話を何も知らない第三者が、その呟きだけを見て軽々しく非難する。

これは正義という名の旗を振りかざした、ただの暴力だと私は思うのです。

辛いだろうことに寄り添い、「わかるよ」「辛いよね」「私もそういうことあったよ」と声をかけることが、本当に呟き主さんのことを思っている方のコメントなのでは無いかと思います。

Twitterは本来、自由な場です。誰が何を言っても許され、怒ったり弱音を吐いたり愚痴を言ったりしても許されるべき場所です。

ただ、そういったことが許されるのはあくまでも「自分の生活範囲」ではないかと私は思っています。

第三者が軽々しく他人の大切な人を傷つけていいはずがない。

自分には害がないのに自分は正義であると奢り、間違った大義名分を掲げて人の尊厳を傷つけるのが許されていいはずがないと、私は思います。

姑さんを悪と決めつけ、悪であれば何を言っても良いかのように非難する方々は「自由の場」の意味を履き違えているように思えて、私は仕方がない。

ここまで私の駄文、愚見に付き合って頂きありがとうございました。

また、noteでお会いできたら幸いです。

澄田美稲

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