
人間は思っていたよりポンコツだったし、それを許せる人生を歩みたい
今の家に備え付けのテレビがあるので、直近6年くらいのテレビなし生活から久しぶりにテレビがある生活をしています。
とはいえ、テレビで観るのはニュースくらいで、あとは大画面でYouTubeを観る用に使っています。
そのYouTubeも、「観る」というより「垂れ流す」が正確ですが。
テレビでニュースを観ていると、本当にいろんなニュースが飛び込んできます。
小さい時は特に何も感じなかったのですが、30代になった僕は「本当に同じ人間がやっていることなのか?」「そういう事件を起こさなきゃいけない事情があったのかもしれない」と、自分にも他者にも感情移入をしながら観るようになりました。
とはいえ、犯罪を起こしてしまった人も小さいときから数多のニュースを見聞きしてきたはずで、それでも犯罪を起こしてしまう点に、人間という生物の弱さを感じることもあります。
また、芸能人の不倫だって、メディアに晒されて仕事がなくなってしまうリスクがあるのを承知で不倫をしているわけなので、どんな立場になっても「欲>理性」は変わらないのかもしれませんね。
不倫は絶対に悪いことなのか、というのはまた別の議論として。
これらの事例から考えるに、「人間は思ってたよりポンコツなのかもしれない」という仮説が浮上しました。
この「ポンコツ」というのは、決して悪い事ばかりじゃありません。
ポンコツさの裏には、その人にしかない強烈な魅力が必ずあります。
また、ポンコツであることが愛おしく感じる人だっています。
地方の喫茶店やスナックに行くと、そういう人を見かけるでしょう。
そのポンコツさを守ってあげたくなるし、そこに謎の一体感が生まれて、自分の居場所にさえなったりします。
「得意なことを伸ばそう」という姿勢は本当に大事で、自分のポンコツな部分は「ポンコツでOK」と割り切って、周りに支えてもらえばいい、と社会人歴を重ねれば重ねるほど感じます。
かくいう僕も、年を重ねるにつれて自分のポンコツな部分が少しずつわかってきました。
このnoteのようにコンテンツを作ったり、仕事を滞りなく進めることは得意ですが、紙の書類の整理がからっきしできないし、よく忘れ物無くし物をしてしまいます。
ここには書けないようなポンコツさにも気づき始め、最初は自分のできなさに絶望してしまいましたが、最近は「もうそれでいいや」と割り切れるようになってきています。
だって、そのポンコツさがある僕と仲良くしてくれる人がすでにいるんだもの。
それでいいじゃん。
この世の中、特に日本社会は「完璧」なのか「平均」なのかはわからないけど、とにかくトゲのない仕事ぶりや人間生活を求めてきます。
その結果、一つのミスや不祥事に対して集中的に攻撃してしまったり、本人も必要以上に気にして病んでしまったりします。
これそもそも、前提が間違っていて、人間は自分が思っているよりポンコツなんですよ。
誰しもにポンコツな部分があって、それが表出しているかしていないか、の違いなんですよ。
レーダーチャートはデコボコで当たり前で、だから人は支え合えるのです。
だから、自分を含めた人間のポンコツさを許して、それを愛しみあって、ポンコツさを笑い合いながら生きていけばいいじゃないですか。
強くなるとは、弱さを許すことだ、と誰かも言っていた気がします。