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「飽きる」はもしかしたら幸せなことなのかも

僕は、かなり飽きっぽい人です。カメラにハマったかと思えば一週間で見向きもしなくなるし、週10冊ペースで本を読むときもあればパタッと読まなくなるときもあります。

僕の中に突然「飽きた」が訪れ、それまでやっていた行為を突然やめるわけですが、その前兆は特にありません。困ったものです。気付いたら飽きてます。


また、少し話は変わって、「やるべきことを放り出してやりたいことをやっている」人について。僕もこの傾向があり、思いあたる人が周りにも何人かいます。

たとえば、「期日が近いタスクがあるのに勢いで遊びに行っちゃう」といったところでしょうか。

その人の関係者は「遊んでないで早くやれよ」と思うでしょう。なぜなら、待たされてるのは自分だから。これについて、僕も最近ある人に怒ってしまいました。


でも、よく考えると、「それでもやりたいことから先にやった方がいい」と言えます。

やりたいことを我慢させることはいわば「強要」になり、モチベーションがだだ下がりです。その状態で出てきた納品物は、多分あまりいいものではありません。

また、やりたいことを実現できる人はそんなにいないので、「自分はやりたいことをやった」という自信がつきます。その姿が、きっと誰かの後押しとなるでしょう。

そして、「飽きる」までやることで、「やりたいことをやり切った」という達成感につながります。そうなると、その人はもう自信満々です。


そう考えると、「飽きる」は幸せなことですよね。「飽きる」はそうそう到達できるものではありませんし、到達した人にしかわからない感動があるはずです。

だから、自分も周りの人もやりたいことは「飽きる」までやった方がいいし、周りの人が「飽きる」まで待ってあげた方がいいのかもしれません。

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