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恋するサポーターと怒れる旅人

初めて遠征したのはいつだったか。地域リーグで初めてアウェーに行ったとき、あたしのほかには2人しかおらず、「ああ、クリスさん、遠いところお疲れ様です!」と歓迎してもらった。3人だけで声を出し、試合も勝ち、終了後選手たちがゴール裏まであいさつに来てくれた。自分勝手な責任感を満たすための旅行だったけど、待ってたってなにも楽しいことなんか起こらない。でも、一歩飛び出せば、こんな面白いことが待ってるじゃないか!

アウェー・サポになってからの遠征は切なかった。転勤で転居しなければならず、愛するチームや仲間と別れて2か月後、天皇杯の決勝だった。今にして思えば、あの頃はまだまだあたしは何も知らない素人同然だったのだろう。地元でボランティア・スタッフをしていたころと同じように、関係者として出入りできると思い込んでいた。でも、あたしは見事に通用口でシャットアウトされ、かといって応援グッズを何も身に着けていたなかったのでゴール裏に遅れて入るわけにもいかず、スタンドで一人観戦した。そしてチームは負け、あたしは選手にも仲間にもあいさつすることなく会場を後にした。特急と新幹線で3時間の旅。気が付くとあたしは窓をバンバン拳で叩いていた。

(ちくしょう!ちくしょう!!)

負けたのが悔しかったのか、だれにも声をかけてもらえなかったのが寂しかったのか、とにかく何もわかっていなかった。「出待ち」ということも知らなかったし、誰かに事前に連絡をつけておくぐらいの図々しさがあってもよかっただろうし、応援グッズなんかなくたって仲間は受け入れてくれたはずだった。

でも歯車がどんどん狂ってった。応援団は分裂し、チームともぎくしゃくしていると聞いても、遠く離れたあたしには何もできず、へんなプライドや天皇杯の時のわだかまりもあって、あたしもサポーターとチームの橋渡しの役割ができなくなっていっていた。正直初めての地決は散々だった。チームは勝てず、サポーターはとうとう解散に追い込まれた。あたしもチームに別れを告げ、帰りの高速バスで5時間泣いた。

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ある下部カテゴリーのサッカー選手とサポーターの15年を描いたnoteを集めました。

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