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現代アートをとりまく環境?

SNSで社会に対して大喜利している人々を死ぬほどかかえている今、特別な社会性表現とは何かと考えてしまう時もある。by 落合陽一

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ぼくは2010年くらいから現代アートを始めたのだけど、

ちょうどそれくらいの頃からSNSが流行り始めていて、

その一方でアートのことぜんぜん知らなかったから周りの人に色々教わりながら、

でも現代アートの社会的な立場とか、社会とのつながりの部分にずっと違和感があって、

それは月日とともにどんどん大きくなっていって、

それが一昨年のマイアミバーゼルでバナナの展示を見て自分の中でなんだか弾けた感じがある。


これってただバズったり炎上したりってのと大差ないんじゃないかなって

こないだ落合陽一の本を読んで、そこに書いてあったことがすごい腑に落ちた気がする

周りの状況は著しく変わっているのに、

ぼくらの感覚のアップデートはワンテンポ遅れてくるし、

アートの評価軸の変化なんかはさらに遅れてやってくるような気がして、

そのギャップに違和感を感じていたのかもしれない


うわべて社会性を謳うよりも、

むしろむかしから痛烈に批判されていたことだけど、

日本特有の好きなことを自由に吐き出すというような方向性の方に可能性を感じる

もちろんそれを言語化する必要はあるのだけど、

そっちの方がエネルギーを出しやすいし、周りとの差異をつくりやすい気がするってはなし :-)


P.S.
この3Dホログラムなんで作ろうと思ったんだかっけか?笑、コンペとか出そっかな◎

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