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楽しかった思い出を風化させない方法を考えてみた

今を楽しむとはなんぞや

巷でよく聞く、高校時代に戻りたい、推しは推せる時に押せ、〇〇ロスという言葉は共通点がないように見えて、いずれも過去を羨んでいる意味で似たような言葉ではないかと私は思う

そして、そのような後悔を回避するために「その時を楽め!」と言われるが「その時を楽しむ」って具体的に何をすればいいのだ?

現在も普通に出来ていたことが出来なくなり、異常が日常になりつつある中、コロナ前の生活が恋しい人は多いのではないだろうか

ということで、過ぎ去ってしまう時間を、どのようにしたら丁寧に過ごすことができるのだろう

私なりに考えてみた

心の持ちようとしてのアプローチ

今ある当たり前が永遠に続くと思うと、人はそれにあまり価値を感じなくなってしまう。

そのせいで、数年後にこのたわいもない日常が輝いていたものだと気づく、もう時すでに遅し、、

私はこのプロセスを何回も繰り返してきた(泣)

今価値がなくても、後に価値のある物になる。オークションみたいだ

そうならないための心の持ちようとして

「今日が人生最後の日だと思って過ごす」というのが1つの案である。

よくありがちなアイディアだが、これが1番日々を大切に過ごせる方法ではないかと思う。

今日が人生最後の日と仮定するだけで、日常が日常でなくなる

何も考えずマスクをしないで街を最後に歩いたのはいつだっただろうか、、、(小声)

ほんとに、世の中何が起こるかわからない

つまりは「今が大切なことに気づけぇ!!」(千鳥ノブさんの声で再生して下さい)ということですね笑

と言いつつも、常に今を大事に、今を大事にと思って過ごすのもなんか変だ

なので、1日の終わりにその日を振り返ってみたりする時間があるといいかもしれない

行動としてのアプローチ

楽しい思い出を忘れないためには、やはり形に残るものとして保存しておく必要がある

そのために日記を書くというのは絶好の手段である。

日記を書くことで、すぐに忘れてしまいそうな些細な幸せや、思い出が永遠に文字として残り続ける。

読み返すことで当時を思い返し脳内でもう一度その時に感じたことを疑似体験することだってできる。

小学校の時など、何か行事がある度にその感想を作文で書かされ、面倒だと思っていたが、学校側の狙いとしては、自分の気持ちを文に表現することの練習。裏の目的として、将来それを見返してこんなこと思ってたな〜なんて振り替える。までがワンセットとして計算されているのではないか?
深読みしすぎかな、、笑

当時と現在は同じ自分なのに、感じたことを忘れてしまう。自分が忘れてしまうくらいなのだから他人が私の気持ちなんて覚えてくれていることなんて、滅多にない。やはり、自分のことは自分でやろう笑

そして、日記と共に写真や映像などが残っていたらより、記憶を呼び覚ましやすい

日記はエピソードや感じたことを文字にすることで記憶にアプローチするのに対し、写真を撮って残すというものは視覚的に記憶にアプローチできるのでとっても便利だ

実際私も、以前所属しているスポーツチーム全体で海外遠征に行き、それはそれは楽しい思い出だった。

その際、各々が自由に撮った写真がLINEのグループのアルバムに共有され最終的に全員で1000枚以上撮っていた。

そのおかげで、楽しかった記憶は風化されにくく、写真を見返せば当時の記憶が再生される、写真万歳だ

そして、先程も述べたように文字と写真ダブルで残すことで、文字と写真で、思い出のホルマリン漬けが完成する

忘れたくない旅行やライブ、イベントなどがあったときには是非実行したい。

まとめ

楽しい思い出という面で切り取ると、時間はすぎて欲しくないとおもうが、辛いことや悲しい時間という側面では時間が過ぎる事で笑い話になったり、乗り越えたりすることができる。

そう思うと、何事も上手くできているなぁと関心する。

それを利用して、自分の気持ちに合わせて都合よく時間というものを捉えて行きたい次第だ。

時間はどうあがいても、止めることは出来ない。
しかし、行動次第で止めることの出来ない時間を丁寧に過ごす工夫はできそうだ

おわり

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