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私が笑えるために書いた -『時をかける父と、母と』Vol.2

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。

vol.2 私が笑えるために書いた

さて、ここ数年の私は、人生の中で、父に一番冷たい態度をとるようになってしまっている。
認知症の家族が大抵そうなっていくように、日々同じ質問をされたり、様々なことがわからなくなっていく父に対して、毎日穏やかな言葉を選んで優しく説明してあげることなど、到底できない。

いままで私には大きな反抗期がなく、洗濯物を一緒に洗わないでほしい時期もなかった。
そして一度数年間実家を離れて暮らし、出戻り、さらに父の病気が進行した結果が現状だ。
父の病気は認めているつもりでも、進行していく病状のひとつひとつは、なかなか受け入れがたいときもある。
だからこそ目の前にいる父に苛立ち、邪険に扱ったりもするけれど、結局自分の態度は、自己嫌悪になって自分に跳ね返ってくる。
そういう悪循環からは、現時点では抜け出せていないし、ずっと付き合っていく感情なのだろうなとも思う。

もともと父は大雑把で、贅沢で、わがままで、怒りっぽい。
だけど家族思いで、やさしい性格。
そんな人だからいまも、なーにいってんだかとつっこまずにはいられない、ちょっと笑えることも確かにあって。
だけど笑えない瞬間は増えていて。
ある意味では愚痴のような日記になってしまったとしても、こんな状況でも笑える日はあるんだなあ、と結局まあなんとか成り立っている、そういう日々のドキュメンタリーが、誰かを、そして誰よりも自分を励ますかもしれない。文章を書き、漫画を描いたのは、自分が笑えるようになりたかったからだ。

「書く」ことに気持ちが救われる

平和な家族のもとでそう大きな苦労もせずに生きてきた私。ここへきて、なんでこんなことになったんだろう? という不条理さを感じる瞬間はたくさんあった。

たとえば、私の属する30代がSNSで周囲にシェアする話題は主に育児のことや仕事のこと、美味しかったごはんのこと、旅行のこと。そんな話が多いように感じる。

そんな流れの中で、私がシェアできることは……?
「母ががんです」? 
「父が認知症で要介護認定がおりました」? 
私は誰に、どこから、なにを話せば良いのだろう?
そもそも公に書くような話なのか?

私は両親の病気について、SNSに書いたことはない。書こうかと思ったこともあった。友人にも話したいと思いながら口をつぐんだこともあった。本当は、「私はこういうことで悩んでます」と、大きな声で言いたかったのかもしれない。だけど言えなかった。だから私は一人、自分の心情も合わせた記録を、携帯のメモでぽちぽちとつけていた。厳密に言えば、まずは「文章を書く」ことで気持ちを吐露して、あとからはんこでの挿画や、漫画をつけた。

一方で、SNSで『拡散』や『シェア』しづらい感情に出会うにつれ、「こういう想いをしている人、きっと周りにもいるだろうな」とも思うようになった。
一見順調に見える人でもそれぞれに、きっと日々の生活に奮闘しているのだろう。
たとえば家族の病気、障害、死、仕事の辛さ、子育ての苦悩、夫婦間の危機。そういうものは、SNSでは到底シェアされにくいことだ。

いつしか私は、誰かの知らない苦労にも想いを馳せるようになった。きっと私だけではない。誰かにも似た想いがあるだろう。

私の場合は、『書くこと』が大事な手段だった。もしも吐き出せずにいる人がいたら、誰かに見せる前提でなく、自分だけのために、誰にもみられない場所でいいから、書いて欲しい。そうすればほんの少し、楽になることもあるかもしれないと思うから。

『時をかける父と、母と』バックナンバー
Vol.1 はじめに

あまのさくや
はんこと言葉で物語をつづる絵はんこ作家。はんこ・版画の制作のほか、エッセイ・インタビューの執筆など、「深掘りする&彫る」ことが好き。チェコ親善アンバサダー2019としても活動中。http://amanosakuya.com/

2019/06/17-23 『小書店- はんこと物語のある書店-』@恵比寿・山小屋


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