見出し画像

私の最寄駅はSuicaが使えない

最寄の紫波中央駅は、Suicaが使えない。

これまで、旅先でSuicaが使えない駅にくると、失礼ながら「結構田舎にきたな」と感じて、それも旅っぽくていいな、と切符を眺めて喜んでもいた。そんな田舎の旅先のようなところに、私は引っ越して来た。
そして、2週間が経とうとしている。

目の前の景色がこんなにもがらりと変わると、自分がどこにいるのだかわからなくなってくる。移住前から、視界に山が入ると「山だなあ」と脳内で言っていた。私にとって山は、電車や車に揺られて旅先で見るものだったから、一歩家から出てすぐ山が見える、山に囲まれて過ごしているのが不思議でしょうがない。

画像1

この山は東根山(あづまねさん)という。名前ももう知っているけれど、2週間たった今でも、目に入るたび「おはよう、山」とか言っている。まだ出会ったばかりの山と私との関係性は、ちょっとたどたどしい。でもすごく私は、すごく意識している。思わず「すごく」を繰り返してしまうくらい。中2の恋か?

駅までの道すがら、ここしばらくの東京生活において、私は芝生や雑草すら踏んでいなかったな、ということにも気がついた。インドアな私は、出かける先もお店・映画館・ライブハウス…とか室内だし、そもそもコロナ禍では外出も減ったし、駅までの道のりで、土を踏むこともなかった。

画像2


こちらに来てからいくつか思ったことを、雑記的に書いてみよう。

散歩してると目立つらしい

私が引っ越してきた、岩手県・紫波町。Suicaは使えなくとも、暮らしてみるとここはあまり『田舎』ではない。なんならそこそこ『都会』である。駅近くに住んでいるので、徒歩10分もいけば図書館・役場・産直スーパー・コンビニ・カフェもある複合施設があるのと、別方向にはスーパーがさらに二つ、コンビニも二つ、そのほかにドラッグストア、ホームセンター、百円ショップもある。東京で私が暮らしていた家は最寄駅がそもそも徒歩20分くらいあり、徒歩10分圏内で事足りることはなかった。近所に外食の選択肢が少ない、といえばそうだけれど。ここから車や電車で20分行けばもう盛岡だし。

画像3

複合施設・オガール。ホテル・図書館・役場・産直スーパー・コンビニ・カフェなどもある。温かい季節には中心の広場でイベントも開かれているし、夏はバーベキューもできる。真冬は保育園児が雪遊びをしていたし、晴れた日は学生がサッカーをしていたのを見かけた。

今は車がない私は歩き回っているが、すれ違う歩行者は登下校中の学生か、犬の散歩をしている人とか。それ以外の人はほとんど出会わない。みんな車に乗っているからだ。だから赤いコートをきてフラフラ練り歩いてる女は、意外と目立っているのかもしれない。変質者だと思われてないといいけど。

引っ越して驚いたこと

転居の手続きをした。まず驚いたのは、役場の窓口規模がだいぶ小さめなこと。そりゃ、人口32万人の中野区から3.3万人の紫波町へ引っ越してきたのだから当たり前か。番号札をとる機械を思わず探してしまった。

ごみの分別など色々と説明を受けた後、窓口である紙を渡される。聞けば、「あなたの住所は◯◯地区です。行政区長は●●さんなので、こちらの電話番号に電話して入居したことを知らせてください」とのこと。
後日電話し、「△△に引っ越してきました」と伝えると、ゴミ捨て場の位置を教えてくれ、何かあったら連絡してください、と言われる。どうやら町内会のようなもので、地区によっては運動会があったりするらしい。今まで東京で単身でアパートに入居するときに町内会に電話したことはなかったな。東京だと、リスクを回避するあまりに、匿名性が高く生きていられる。ここでは、私がここに住んでいることを『確実に把握』されているんだ、と思った。電話はさらりとしていたし、干渉されたわけではないけれど、こういう一つ一つの違いにハッとする。

引っ越し前にリサーチ不足だったのが、ゴミ捨て場が存外に遠いということ。行政区ごとに何世帯あるのかはわからないが、とにかく集積所まではうちから2〜3分歩かなくてはならない。アパートはアパートごとにゴミ捨て場があるような状況に慣れていたので、これは地味〜〜につらい。

できるひとが助けてくれる。ここはそういうところ

紫波町には昔の同僚・Iちゃんに誘われる形で来ることになった。私と同時期に彼女の引っ越しが重なり、生活用品を色々いただけてかなり助かった。しかし彼女はそもそも子育て中でかなり忙しいのだが、身動きが取りづらい彼女の分まで、今後一緒に働く同僚である、地域おこし協力隊の先輩にかなり助けられている。Mさんは、魚やら(※前回のnote参照)、その後も野菜やら米をくれたり、ニトリやリサイクルショップなどの入り用に車を出してくれて衣食住を気遣ってくれている。年下のエネルギッシュなAちゃんは、週末に片道3時間かけて久慈(「あまちゃん」のロケ地)まで連れて行ってくれたり、盛岡を探索したり、こちらでのエンタメをとことん共にしてくれる。

画像4

「私がなかなか手伝えなくても、他の人が親切にしてくれる。できないときに、できるひとが助けてくれる。ここはそういうところだよ」とIちゃんは言った。それをすでに体感している。

田舎暮らしをしたかったわけではない

都会に疲れたアラフォー女が田舎へ移住した。側から見た図式はそうかもしれないけれど、引っ越した先は利便性も高いし、あんまり田舎じゃない。気温は東京より10度くらい低いし、この間も朝はちょっとだけ雪も降ってたけどね。

訪れて初めてわかった、この土地の、外からの人を受け容れてくれる風土が心地いいこと。私は移住前から運が良く、深く信頼できそうな人たちと数名知り合うことができていた。さらに食も環境も豊かであって、居心地がよさそうだなと思えた、それが移住の決め手だったなあと思うし、今でも思う。田舎暮らしがしたいというより、紫波町に引っ越して新しい生活を始めてみたかった。そして今、できている。それが嬉しい。20代の頃よりも自分のことを知っている30代後半からの引っ越し。町の選択からして、やっぱり悪くないなと思っている。

「自分の地元とかって、何もなくてつまんないって言いがちじゃないですか。でもこっちの大人たちは、山とか、周囲にあるもので存分に楽しんでる。そういうかっこいい人たちがいっぱいいるんですよね」と、Aちゃんは目を輝かせて言っていた。

この町に漂う空気感は、どんな人たちが醸し出しているのか。その人たちはどんな周辺環境の中で暮らしていて、どんな生活を送り、どんな会話をしているのか。私が今一番知りたいのはそれだ。

なんで移住したの? という自分への架空のインタビューに答えるかのように、自分が紫波町を選んだ理由を、今は生活の中でちょっとずつ集めながら生きている感じ。

生活は落ち着いているのだけれど、なんだか心が忙しい。

画像5

そして盛岡冷麺はウマイ。

この記事が参加している募集

最近の学び

『スキ』をしていただくとあなたにおすすめのチェコをランダムにお知らせします。 サポートいただいたお金は、チェコ共和国ではんこの旅をするための貯金にあてさせていただきます。