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別宅「ハタ」を持つ暮らし(前編)

別宅「ハタ」を持つ暮らし
ーチェコセンター所長・エヴァ高嶺さん

パヴェルさんの話にも出てきた、チェコの郊外にあるという別荘、“ハタ”。パヴェルさん自身が社会主義時代にハタで経験したことは、彼のその後に少なからず影響を与えているように見えた。多くの人々が所有しているというハタにまつわるライフスタイルについて、もう少し知りたくなった。ハタって、いったいどんなものなのだろう?

まず聞いたのは、東京・広尾にあるチェコセンターの所長をつとめるエヴァ高嶺さん。エヴァさんは、現在東京の自宅のほかに、16年前に山梨に別荘を購入。平日は東京に暮らし、仕事が休みになる週末は山梨で過ごすという。話を聞くと、その使い方は現代でよく聞くようになった「二拠点生活」や「セカンドハウス」の生活スタイルに近しい側面がある気がした。

「山梨には金曜日に来て、日曜の夜に東京に帰ります。120キロメートルくらいの道を車で往復しています。こういう暮らし方をしている人はあまり私のまわりにいませんね。子どものときのチェコでの経験からの発想からいまのスタイルがあると思います。“脱出”ですかね」

“脱出”という意外なキーワードに驚く。そもそも別荘と聞くと、高級感に満ちた贅沢さを想像してしまうが、エヴァさんはそれを否定する。

「日本で別荘を持っていると言うと、みんなにお金持ち? と言われるんですけど、そうじゃないんですよね。とてもシンプルな家ですよ。いまのうちの別荘と、チェコで家族と過ごしたハタは様式も違いますが、過ごし方は似ています。別荘というよりも山小屋というイメージに近いものでした。
 チェコにある家族のハタは、木造のシンプルなつくりで、1階がリビングのような、ひとつの大きな部屋と奥に小さなキッチン、2階はロフトのようになっていて、寝るだけのスペースがあるようなイメージです。家全体で見ても、大人と子どもで、最大で8人泊まれるかどうかくらいの大きさで、基本的に家族とか親しい友だちしか呼べません。いつ誰が行くとか予定を共有して、一緒に行ったり、違う時期に行ったりします」

「山小屋」のイメージに近いというエヴァさんのハタ。生活の中で、ハタがどんな役割を果たしていたのか、幼少時のお話からうかがうことにした。

うちのハタには水道がなかった

「私はチェコの北ボヘミアの都市、リベレツから15キロメートルほど離れた集落で生まれました。父は学校の先生で、キャリアのはじめは田舎の小さな学校に勤めていました。家族でプラハに住みたい気持ちを持ちながら、生まれ育った家の近くにハタを建てました。私は当時7歳くらいでしたが、父を中心に、家族みんなで体を動かして、家を作りました。自然の中なので水道もなくて、まだ両親も20代だったのでお金もかけられず、水も井戸まで汲みに行かないといけなかったんです。丘の上まで100メートルくらいなのですが、冬は雪が積もると車で登れないので、下に車を置いて荷物を運んだり。深い雪の中で運んだりして大変でしたが、それはそれで楽しかったんです。数年後、周りにもハタが何軒かできたので、みんなで協力して水道を上まで延ばしました。
 ハタでの生活は、都会と違って全部揃ってるわけではない、あえて不便さをとることで、すべてを大事にしないといけない。あるもので間に合わせる。そういう価値観も父は大事にしていたのだと思います」

あえて不便さをとる。なるほどわかるような気もするが、お湯どころか水が出ない環境を私は子どもの頃楽しめただろうか? と自分に首を傾げる。

プラハの自宅から120キロメートルのハタに通う

「1968年にワルシャワ条約機構軍がチェコに侵入した年にプラハへ引っ越す予定が1年延びて、私が9歳のときに家はプラハに引越して、プラハの家に住みながら、週末はハタに通っていました。ハタはプラハの自宅から120キロメートルくらい離れていて、夏休みの2ヶ月間はほとんどそこで過ごしていました。両親もずっとは仕事を休めないので、おばさんとか、面倒見られる大人につき添ってもらって。夏はいちばん気候がいいんですよね、暑すぎなくて。夏はとにかく一日中泳いだり、山に入って森の中で遊びをしたりしていました。一時期、子ども向けの番組で流行ったごっこ遊びをしたり。一度、鬼ごっこでつかまって、囚われの身のような感じで木にくくりつけられたんですけど、みんなが忘れて帰っちゃって。森が深いので誰もこない……(笑)。そのうち思い出されて大丈夫でしたけど。

 小学生はだいたい、1〜2週間くらいの、ボーイスカウトやガールスカウトのようなキャンプに行くことが一般的でした。当時は社会主義体制下なので、その体制に合うように『青年隊(pioneer ピオニール)』と呼ばれていました。ハタでも、家族やハタに集まった仲間と一緒に焚き火はよくしていましたね。
 冬は、子どもの頃はスキーをしにいったりもしましたが、寒くて、不便だし、水が凍るので、水道の水抜きをしなければならず、歳をとった両親はいま、冬は行かなくなりました。でも覚えてるのは、冬の夜は布団の中が冷え切っていて、みんな悲鳴を上げながら布団に入るんです。だから2階で誰が寝たのかが、1階にいても悲鳴でわかる。あまりに冷たいので父が薪ストーブでレンガを温めて、タオルで包んでそれを布団の中に入れてくれてました」
「レンガ!? なかなかワイルド…(笑)」
 一歩間違えばとても危険だが、大胆なお父さんを想像してみると少し笑える。
「湯たんぽもあったんですけどね(笑)。お父さんもおもしろい人で、子どもに自然とこういう楽しさを覚えさせてくれたなと思います」

チェコにある家族のハタ
(写真提供:エヴァ高嶺さん)

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